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脈絡なく書きたい(20191015)

 頭が痛い。バイトでスーツ着て、そのスーツを準備するストレスでバイトが始まる前から尋常じゃなく疲れた。準備苦手なの変わらない。どこに向かっているのだろう。クレジットカードで支払いをする。その見返りがいつ来るのか。作業着の方が慣れてきてしまった。もっと落ち着きたい。脈絡なく書きたい。できるだけ支離滅裂に。考える頭の保水量がない。ダムが決壊寸前。頭痛でアピールする血管の滞り。

 暗さについて。暗いとはさまざまあって、明るさが暗い、性格が暗い、気分がふさいで暗い、音が暗い、色が暗いなどなど、主に視覚的に光量を感じないことの表現から派生して、聴覚や精神的なものにも転じていると思うのですが、こういうメタファーは非常に飛躍をしているもので、視覚と精神的なものがなんで同じ「暗い」で表現されるのかと疑問に持ち始めると答えはない。この文章も暗い。しかし、僕が打ち込むパソコンの画面はひどく明るい。目が覚めるような白が9割以上を占めている。暗い文章。明るい画面に暗い文章を載せるというのはすさまじい矛盾のようで、人間社会では一般的に行われている。

 爪が伸びてきた。足の爪が気になる。触ってしまう。脈絡なく書くとは。この文章を読んで自分で脈絡がないなと思えば、それで脈絡がないのか。それじゃあ、いつもはまとまった文章が書けているのか。いつも行き当たりばったりで、無理やり終わらせているだけかもしれない。

 もがき苦しんでいる様を毎日毎日さらしているような感覚。村上春樹の「ノルウェイの森」で、なんとなく覚えている、めちゃめちゃ賢い人が「労働」と「努力」の違いを話すところ。毎日疲れ切って生産性なく働く、というのは「労働」で、ほとんどはこの「労働」を「努力」と取り違えているのだと。自分も「労働」からなかなか離れられない感覚。「努力」とは何なのだろう。継続するとは、何日継続すれば努力になるのだろう。決まりはない。決まりはないけれど。

 改行した一つ一つの塊に、脈絡はあるんだろうか。一秒一秒変わる、自分自身に脈絡はあるんだろうか。過去と現在と未来は、一つなぎにつながっているんだろうか。脈絡を無視したくなる気持ちに脈絡はあるんだろうか。意味のない文章。目指す目標のない文章。体力がないから、頭から終わりまで統一することはできない。いつも変わらない気もする。書いてすぐ出す。読み返して恥ずかしくなりそう。その恥ずかしさになら脈絡はあるんだろうか。なんにでも脈絡をつけたくなってしまう気持ちから逃げ出したくなるが逃げられないような日だっ

 

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