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『ゴーン・ガール』と『逃げ恥』新春スペシャル

『ゴーン・ガール』という映画を観た。

ネタバレは控えるが、『セブン』や『ドラゴン・タトゥーの女』で知られるデヴィッド・フィンチャー監督で、目を背けたくなるシーンもあり、怖いミステリーものだった。5回目の結婚記念日の朝、ニック・ダンは妻のエイミーが失踪したことに気づいて、と夫婦をめぐる話である。

観終わった後もショックで、なんか変なものを観てしまった感から、一緒に観ていた夫に、
「ごめん、私のチョイス悪かった」
と思わず謝ってしまったくらいだ。

しかしながら、計画とハプニングとが入れ混じり、途中「これってどういうこと?」と引き込まれたし、観終わってからも「あれってどういうことやったんやろう」とジワジワ考えさせられるいい映画だったと思う。

ちょっと暗くなった気分をポップでライトにしたくなり、録画していた『逃げ恥』新春スペシャルを観ることにした。
まだ記憶に新しいドラマで、もちろん私も大好きだった。スペシャルで復活と聞いてすごく楽しみだった。

しかし、『逃げ恥』新春スペシャルは観終わると、想像とは違って、違和感としんどさが残った。

なぜだろうと理由を考えてみたら、3つあった。

1. 金銭感覚がずれていた

結局、お金で解決するのだと、思わせる描写が多かった。
・治療方法を選ぶ時に、治療費高い方を選択
・トイレットペーパーの銘柄をこだわりで選ぶ
・家事代行を頼む
・出産時、無痛分娩を選ぶ

庶民の私の感覚では、ちょっとセレブであまり共感できなかった。


2. 社会問題があふれていた

同性愛や、男女平等、働き方、セクハラなど、社会問題を詰め込んでいて、主人公たちの対処方法が正しく、正しいんだけれど、正しくてしんどいものがあった。

押しつけられた啓蒙のように感じてしまったのだろう。


3.ドラマの舞台をコロナに絡めていた

ドラマが後半コロナの現代を表していたため、不安に煽られる感じがした。正直なところ、主人公たちはコロナ禍で大変ながらも、人や金銭的など周りの環境に恵まれている。現状、コロナで本当に大変な思いをしている人たちが数多くいることは想像にたやすく、コロナを取り入れたことでリアリティに近づくよりも、乖離を感じてしまった。

副タイトル通り「ガンバレ人類! 」と言われても、すごく薄っぺらいような、「わかってるよ…」という反感を感じた。現在進行中の身のため、おそらく自分自身が感じている日ごろの不安感が炙り出されたのだと思う。

そんなわけで、2つの夫婦にまつわる作品を観た後、全然違うのに、なぜかぶっ飛んでサイコパスで怖い『ゴーン・ガール』の夫婦の方に共感を覚えることとなった。

お互い相手に勝手に理想を押しつけてしまう。自分も相手の理想を演じて苦しくなり、でも現実生活に折り合いをつけて。となんともいえない人間らしさを感じたのだ。

きっと『逃げ恥』の平匡さんとみくりさんは、考え方が少し違っても、きちんと話し合い、論理的に折り合いをつけ、ものごとを解決していくと想像できる。それは素晴らしく理想的だ。そう理想的なのだ。

理想と現実。リアリティとファンタジー。

それらの間で夫婦は続く。

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