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留学の振り返り②

留学の振り返りをはじめて、2つめの記事を書くのになんと4ヶ月近くも要しました。とんだ遅筆ですね。

前回は、出願から英語対策まで、かなりふわっとした感じの記事を書きましたが、今回は英語対策の続き(まとめ)と、オランダ生活までについて書ければと思います。なお、ビザを含むいくつかの情報は私の出願当時のものであり、また、専門家としての意見ではなく、個人の経験・理解の記録ですので、あくまでも参考程度とし、必ずご自身で確認をされるようにしてください。

前回の記事はこちらからどうぞ。

なお、かなりの大作になってしまいましたが、勢いに任せて書いたもので、文章はあまり推敲していませんので、誤字脱字や表現のおかしな点はご容赦ください。


2 [続き] IELTSについて まとめ

IELTSは、(簡単ではないにせよ)英語の「試験」にすぎないため、それなりに対策をすれば7.0や7.5をとることは不可能ではないだろうと思います。帰国子女や長期留学経験のない私のような受験生からすれば、特にReadingとListeningをしっかりとって、7.5-8.0程度をキープできるようにした上で、なんとかWritingとSpeakingで7.0超えを狙っていく感じかなと思っています。ちなみに、有名な話ですが、4つの科目の中で、Writingが一番高スコアをとりにくいようです。ある程度の語彙や文法知識があれば、6.5前後はとれるように思いますが、7.0を超えるとなると、かなりちゃんと対策に時間をかけなければならないイメージです。

前回も紹介した気がしますが、以下のシリーズを直近の2冊だけ購入し、時間を短くしたりして8回くらい解きました。元来、脳みその出来が決して良いわけではなく、コソ弁タイプの私は、中学受験、大学受験、司法試験ととにかく「手を広げすぎずに反復する。」ことがこと試験対策という意味ではいかに重要か理解しており、その意味ではこのノウハウはIELTS対策でも一応役に立ったことになります。

それと、これは本当に眉唾レベル・私の感想だと思っていただければ幸いですが、IELTSのSpeakingは受験会場によって採点の甘さにかなり幅があるように思います。私は、新宿、高田馬場、市ヶ谷のそれぞれの会場で複数回受験しましたが、新宿のSpeakingの採点が一番厳しかったように感じました。それと、新宿の会場は、試験時間中にまれに「バーニラ、バニラ高収入!」という例の車が通ります。新宿会場は設備もスタッフさんも最高に良いにですが、これが結構鬱陶しかったのを覚えています。

3 渡航・新生活のセットアップ

1 ビザ等
オランダ留学の場合は、私が出願をした2022年2月時点では(=ご自身の出願時に確認をしてください。)、日本人はオランダ居住のためのビザは不要でして、居住許可(Residence Permit)を取得することになります。これは、大学側のアナウンスにしたがって、事前に必要書類を提出すれば大学側がアレンジしてくれるので、たいした手間はかかりません。ただ、Residence Permitの申し込み書類の中に、十分な資産があること(オランダで飢え死なないこと)の証明が必要でして、これは日本の銀行の窓口で出してもらう必要があり、数週間程度かかる可能性もあるとのことなので、注意が必要です。
なお、オランダを含む欧州の多くの国はシェンゲン協定の加盟国ですので、加盟国間ではパスポートコントロールなく移動が可能です。また、日本のパスポート保有者はシェンゲンビザを取得する必要がないので、3ヶ月間(厳密には、「あらゆる180日の期間内で最大90日間」)の短期滞在であれば、何らの手続きも不要です。つまり、上記の居住許可はオランダ入国時点で発効されている必要は必ずしもなく、入国後に取得することも可能です。

2 住まい等
オランダ留学の最大の鬼門は住まいと言われています。オランダは学生向けの住まいが大変少なく、合格したにもかかわらず、十分な住まいがないことから入学を遅らせる学生が珍しくありません。実際に私の代でも合格者の何名かは留学を遅らせていました。多くの学生は、仮の住まいとしてAirbnb等で生活を開始しており、数ヶ月ごとに引越しをしている学生も珍しくはありませんでした。大学側も学生アパートのような住まいを提供しているのですが、これは早いもの勝ちであり、運の要素もあります。また、5,6畳程度のワンルームのものがほとんどですので、ご家族やパートナーが帯同される場合には不便かと思います。
私の場合は、運良くインターネットで良い住居を見つけ、渡航前に契約まで完了することができました。欧州在住の知人から、交渉のポイントとして、「家賃の前払いを提案する、(予算的にもし可能であれば)提示されている家賃より少し高値をオファーする」というのがコツだと聞いていましたので、家賃半年分の前払いを提案したところ、とんとん拍子に進んだ上に、最終的には前払いなく通常通りの契約を結んでもらうことができました。

我が家。ロースクールから徒歩1分。最高でした。
家具付き。ベッドは2階にあります。
夕暮れのライデンはなんだかディズニーシーの一角のようです。

3 銀行口座等
銀行口座ですが、オランダの大手銀行(INGなど)は住所登録等が完了しないと開設することができず、ちょっと手間です。私は、N26というドイツのオンラインバンクを開設し、1年間これしか使いませんでした。30,40分で開設できるのがポイントですが、問題は口座からの引き出しはできても預金ができないところです。手数料も安いので、序盤はN26で必要な支払いを終え、その間に大手銀行の口座開設をするのも手かもしれません。
なお、国際送金は、Wiseが圧倒的におすすめです。日本の銀行→Wiseの国内銀行の送金をすると、同額をWiseの欧州銀行→欧州の自分の銀行に振り込まれるというスキームのようでして、手数料も比較的安く、通常の国際送金よりも着金日数も短く、なによりとても簡単です。ということで、(i)日本の銀行、(ii)Wise、(iii)欧州のオンラインバンクという3つがあれば、家賃の支払い等は行うことができ、(ii)と(iii)は1日あれば作れるので、序盤には役立つと思います。

4 保険等
保険は民間のジェイアイ傷害火災保険に加入していましたが、結局使いませんでした。滞在中は幸いなことに大きな病気や事故にあうこともなく、強いて言えば歯の詰め物が抜けて歯が少し痛かったくらいで、これも終盤だったので帰国してまとめて治療しました。オランダは日本と異なり、飛び込みで治療を受けることができず、主治医(ホームドクター)を登録して、ホームドクター経由で諸々の診療を受けることになります。以下のサイトもご参照ください。

5 留学の費用
私は、事務所からの支援+個人事件の収入があったこともあり、かなり大奮発した(財布への大打撃を与えた)1年間となってしまいましたが、オランダへの留学費用は米国の都市部と比べると多少安いと思います。そもそも学費が日本円で400-500万円くらいですので、米国のLL.Mと比べると2/3か1/2くらいの価格帯です。ライデンの物価は安いとは言えないですが、東京より若干高く、NYやルクセンブルクよりはだいぶ安いというところです。ただ、このあたりは円安の影響がいつまで、どの程度続くかにだいぶ左右されそうです。

4 滞在中・留学の様子等

1 授業
授業は、当然ですが、全て英語です。授業形式は、米国のロースクールのようなソクラテス方式ではなく、基本的には講義形式で進むことが多いです。ただ、3回に1回くらい突然当てられたりするため、油断なりません。私が参加していたコースは航空宇宙法コースですので、大きく分けて、前期(9月-12月)が航空法、後期(2月-5月)が宇宙法、6月-8月は修士論文を書きながらインターンシップを行うというスケジュールです。ちなみに、1月はまるまる冬休みです。ライデン大学の航空宇宙法コースはだいたい人数が20人前後のクラスであり、選択授業はないので(一定の範囲でコース外の授業を申し込むことは可能です)同じメンバーで同じ授業を受けることになります。そのため、非常に和気藹々とした雰囲気でクラス全体として仲良くなります。
授業の予習は、毎回インターネット上で該当する教科書のページが指定されますし、たまに事前課題が指定されることもあります。私のコースでは1コマ2時間(50分-20分休憩-50分)でしたが、予習にかかる時間は真面目にやれば2-3時間、最低限の箇所だけ流し読みなら3,40分という感じです。前述のようにソクラテスではないですし、ソクラテスだとしても、その場で適当に乗り切ることもできなくはないので、結局はどれだけ意欲的に吸収をしたいかによるかと思います。
なお、私のコースでは、英語のネイティブ話者は30人中2人くらいだったかと思いますが(イギリス人とアメリカ人)、それ以外の多くの同級生もIELTSのスコアは概ね8.0程度は保有しており、英語のレベルはかなり高いです。正直、私は英語力的にはクラスで最下層だったかと思います。

課外授業も沢山あります。教授はセルフィーが下手くそです。笑
授業の様子。PCはマストです。

授業には、国際機関の見学やクラス旅行(ブリュッセルやウィーン)もあり文字通り青春の学生生活といった感じです。

世界で航空法/宇宙法の法律家として活躍する友人たち

2 評定
評定は、試験・論文・プレゼンのいずれか又は組み合わせで行われますが、授業内で行われる模擬国際会議等での発言が評定に加味されることもあります。そのほか通常のコース(授業)とは異なる位置付けの単位として、模擬裁判、修士論文、インターンシップがあり、特に私のコースでは航空宇宙関係の国際機関、企業、法律事務所での最低2ヶ月程度のインターンシップが卒業要件となっていました。以下、それぞれ順に概説します。

前提として、評定は6.0以上が合格で、0.25刻みで、10.0まであります。以下は私の年の私のコースの評定割合に関するものなので、参考程度ですが、まず、9.0以上がつくことはほとんどありません。クラスに1人いるかどうかです。つまり、8.5が事実上の最高値であり、8.5以上は30人程度のクラスのうち、2-3人つけられるかどうか、8.0「まで」でクラスのうち5-6人つけられるか(8.0までの評定で、上位15%-20%くらい)といったところです。教授からは7.0がつけば十分な成績(クラスの真ん中より上)、7.5程度(上位30%-35%くらい)がつくと褒められます。なお、全評定が8.0を超えるとCum Laudeという優等生としての称号を得られます。8.5を超えると、Magna Cum Laudeという超優等生としての称号を得られます。私のクラスではCum Laudeが3人いましたが、Magna Cum Laudeはいませんでした。

Leiden LawSchool(全体)の評定分布。ただし、航空宇宙法コースは評定が厳しいと事前に言われており、実際に本文で記載したとおり、これよりも厳しかったと思います。

まず、試験ですが、航空私法(Private Air Law)、航空公法(Public Air Law)及び国際宇宙法(International Space Law)の3つの分野で試験が実施されました。内容はいずれも事例問題で、司法試験や日本のロースクールの試験と似ています。時間は4時間で持ち込み可(ただし答案提出時を除いてネット接続は不可)、答案は自前のPCで作成し、オンラインで提出します。いずれもかなり分量が多く、持ち込み可といっても、詳細に参照をしている時間は全くありません。基本的には教科書や授業資料を復習し、Wordで論点の論証ブロックみたいなものを作っておき、これをコピペしていくのが王道かと思います。英語の非ネイティブ話者からすると、その場で英語で文章を全て捻り出すのはとても大変です。私は航空私法は7.0、航空公法は6.5、国際宇宙法は8.0の成績でした。なお、これらは筆記試験だけの評定であり、各評定は科目によって他の評定対象とあわせて総合評定が算出されます。航空公法は完全に時間が足りず、はじめて司法試験の問題を解いたときのようなパニック状態になってしまいかなりしんどい試験でした。

試験直前の様子。皆、持ち込み資料やお菓子等を持参しています。答案はPCでカタカタ打ちます。

プレゼンは、特定のトピックについて調べ、15分程度のプレゼン(10分程度のプレゼンと5分程度の質疑応答)をするというものです。このプレゼンは通常論文とセットになっており、プレゼンだけが評定対象となる科目はありませんでした。組み合わせとしては、(i)論文のみ、(ii)プレゼンと論文、(iii)試験とプレゼンと論文という形で評定がなされていました。個人的には、このプレゼンは非常に良い経験でした。上述のように私はクラス内でも英語力が低い方だったので、1回目のプレゼンはかなり緊張したのですが、ゆっくりであれ、プレゼンをして、質疑応答をこなしたことにより、英語で発言することの抵抗感が払拭されました。プレゼンは航空私法、航空公法と商業宇宙法の3つの分野で実施され、成績はだいたい7.0-7.5だったので、非ネイティブにしては善戦したんだと思います。この経験があったからこそ、留学後にアゼルバイジャンでの学会で発表をする度胸が身につきました。

Code-Share Agreementと航空会社の責任についてのプレゼンの様子。緊張しました。
International Astronautical Congress(@アゼルバイジャン)での学会発表。100人以上の教授や弁護士の前で質疑応答まで。留学の経験があったからこそ、挑戦できたことです。

論文は、修士論文とは別に、各科目で4,000 Words程度の草稿を提出するというものです。文献一覧等もいれるとざっくりWordで15枚程度です。基本的には、英語でそのまま文章を書き、Grammarlyというアプリで校正をかけるか、英語ネイティブのクラスメイトにチェックをしてもらっていました。ちなみに、DeepLはたまに誤訳があり、ChatGPTはかなり意訳されるケースも多いので、あまり使っていませんでした。ある程度の時間的な余裕の中で「書く」という意味では、辞書を使いながらであればIELTSのWritingが6.5-7.0程度の私でも大きな不自由はありませんでした。論文による評定は、航空私法、競争法(航空法)、商業宇宙法の3つの科目で実施されましたが、この論文系の評定の成績が一番良く、いずれも7.5-8.0の成績でした。

個人的に満足のいった論文("The extensional applicability of the Cross Waiver clause to rideshare launch" 相乗り打上げにおけるクロスウェーバー条項の拡張適用の可能性)。この論文は上記のアゼルバイジャンの国際会議でも発表しました。

インターンは、多くの学生にとって鬼門だったようです。大学側もインターンの機会の提供やネットワーキングの場は設定してくれますが、1人1人にインターンの機会を保障してくれるものではなく、インターン先はあくまでも自分の責任で見つける必要があります。実際にインターン先が見つからずに卒業ができなかったクラスメイトもいました。私は幸いなことに、弁護士としてのお客様がルクセンブルクにいたため、3ヶ月間、顧問弁護士ではなく「インターン」という整理で内部に入れてもらうようにお願いをし、お客様のおかげで卒業要件を満たすことができました(し、大変貴重な経験もできました。)。他のクラスメイトのインターンシップ先の例としては、航空関係企業(カタール航空とかKLMとか)や宇宙機関企業等です。

3ヶ月間住んだルクセンブルク。物価が高すぎるという点を除けば美しい街で、最高でした。
ispace Luxembourgのメンバーと仕事後にバトミントン

修士論文は、15,000字-20,000字(Wordで60頁くらい)で特定のトピックについて調査をして論じるというものです。上記の論文を経た上での発展verという位置付けですが、書き方として、研究対象の設定、方法論の検証、比較法学的な考え方、盗作等の禁止といった研究分野では常識的なお作法やルールについてのレクチャーを受けた上で書くことになります。結局は書きたい内容が決まるかどうか、そしてそのために必要な文献を見つけることができるかどうかという点に尽きるため、英語という点は、労力はかかるものの、あまり本質的なハードルではなかったように思います。だいたいトピックを決めてから期限まで約3-4ヶ月程度で書くイメージです。私は8.0の評定を得ることができましたが、他の科目に比べて、修士論文は若干評定が甘く、7を下回っている学生はいなかったように思いますし、反対に9.0も2名いました。

修士論文("The design of legal remedies against infringement of right over space resources in outer space" 宇宙空間における宇宙資源に対する権利の侵害に対する法的救済の設計)

3 授業への取り組み方
私は、授業の予習は最低限(1時間程度)と決め、そのかわりに復習に全力を注いでいました。具体的には、Otterというアプリを使って、授業の録音と文字起こし(ただ、決して精度は高くないです)を行い、帰宅後に意味がうまくとれなかった箇所は聞き直していました。そのため、2時間の授業の復習に2時間以上かかることはザラでして、次項で述べるようにかなりハードな生活を送っていました。
授業は、多くの場合、発言をしなくても乗り切れてしまうことが多いです。ただ、(実際に質問がない場合であれば別論)聞きたいことがあるのに英語で発言することに抵抗を感じて機会を逃してしまうことは本当にもったいないです。私ははじめの1,2ヶ月は、バンバン質問をする他のクラスメイトに圧倒されていたのですが、上記の1回目のプレゼン後は英語で発言することの恐怖がなくなり、授業中に自分から発言をすることができるようになりました。授業がはじまって1ヶ月経ったあたりで、特に仲が良くなったイタリア人と話をしていたところ、「僕を含めて、ほとんどがネイティブじゃないから英語が下手くそなことは気にしなくていいし、そもそも語学要件を満たしているわけで、それにもかかわらず英語で意思疎通ができないのであれば、それは大学側が語学要件の基準を間違えただけだよね。Hinataは悪くないよね。それに、話すのに抵抗を感じているだけで、僕は君の英語が下手だとは思わないけど」と言われ、救われた気持ちになったことを覚えています。授業中に発言をして、発音が悪く聞き返されることも多かったですが、それでも、英語が下手くそであることを理由に回答されなかったり怒られることはありませんでした。とにかく、お金と時間を割いているのですから、積極的に参加することが大事です。それと、これは様々な考え方があるかもしれませんし、大して良い成績でもなかった自分が言うのは烏滸がましいですが、キャリアを中断して、有限なお金と時間を割いて来たからには、成績もこだわるべきだと思います。もちろん、日本からの留学生の多くは既に事務所に所属をしており、事務所からの支援で留学生活をさせていただいているケースも多いため、LL.Mでの成績はその後の人生で役に立つことはあまりないかもしれません。ただ、だからこそ、自分を奮い立たせるための目標として成績にはこだわるべきだというのは強く感じました。LL.Mは、他の大学は分かりませんが、少なくとも自分のコースでは、省エネで行こうと思えば、かなり予復習もせず、試験や論文も最低限の時間だけで省エネで卒業することは可能だとは思います。ただ、成績という結果にこだわって勉強したからこそ、その過程が深く意味のあるものになるのではないかとも思いました。僕が普段、ヘラヘラ/ボヤボヤしているのを知っている友人がこれを見たら、「どの口が言うてんねん」と突っ込まれてしまいそうですが。。

法学部/ロースクール用図書館。試験前はほぼ満席に。
自宅の勉強机。ただ、勉強は図書館でし、この机では仕事や英語の勉強をすることがほとんどでした。
我が家での勉強会。みんなで授業の復習と過去問の答案作成をしました。
本当に大学生みたいだな。
お酒らしきものを持っていますが、もちろん、勉強が終わってからです。

4 私の生活サイクル
私は、留学中、事務所からの仕事は一部の宇宙関係の仕事を除いて一切受けていませんでしたが、私のクライアントの仕事は(税理士と税務的な整理をした上で)リモートで受けていました。そのため、平日は、ざっくりと

朝4~5時 - 8~9時頃
仕事(毎日4~5時間)
8時 - 10時
朝食/英会話(25分×1-3コマ)/授業の予習(週末に終わらなかった場合のみ)
10時 - 18時
授業/昼食
(授業は3時間が1コマ。昼休みは2時間。1コマの場合には空き時間は図書館で勉強。授業がない日も週に1-2日あり、そういった日は同じ時間帯を図書館か家で勉強。)
18時 - 19時30分頃
授業の復習(@図書館)
19時30分頃 - 22~23時
夕食/飲み会等
(平日は週に1-2日程度はクラスメイトと夕食)
22~23時頃 - 翌4~5時
睡眠

というサイクルのことが多かったです。通学が徒歩1分だったのは本当に有り難かったです。平日はかなり詰め込んでおり(とはいっても毎日6時間程度は寝ていたので、実はそこまで無理のある生活ではありません。)、大手事務所にいた1年目2年目の頃のようなバタバタなスケジュール感ではありました。これが良かったのかどうかはわかりませんが、私としては、この1年間は、学生・仕事・国連の受験生という二足・三足の草鞋を履き切ったという達成感がありました。

週末は、土日の2日間で、最低1時間は英会話を行い、授業の復習と仕事で5時間は確保することを決めた上で、残りの時間で観光したり遊んだりしていました。こう書くとストイックそうに見えますが、朝と寝る前に1.5時間ずつ、英会話か授業の復習か仕事かをするだけなので、週末は普通に遊び呆けています。

特に2023年の3月以降は国連の面接対策を入れていたため、毎日、1時間30分は英会話(模擬面接)をしていました。ちなみに、英会話はNative Campを、模擬面接はLive Englishというサービスを使用していました。JPO試験についてはまた別に記事をまとめておきたいと思います。

上記のとおり、下手くそな英語でも問題がないという心の強さは持てた一方で、やはり悔しいものは悔しく、留学に行ってからの方が英会話は頑張っていた気がします。

5 休日
休日は、クラスメイトとパーティーをしたり、旅行に行ったりすることが多かったです。クラスメイトと飲む場合はだいたいは誰かの自宅にお酒や食べ物を持ち寄ってパーティーをすることが多く、多いと(平日の夕食を一緒に食べる会に加えて)毎週1回は誰かの家に集まっていたように思います。教授曰く、近年稀に見る仲の良いクラスでもあったようです。

また、当時は、翌年からウィーンで働くことは確定していなかったこともあり、これが人生で最後の欧州の長期滞在かもしれないと思い、狂ったように旅行に行きました。パッと思い出せるだけでも15ヶ国、20都市以上訪れたと思います。おすすめは、リュブリャナ(スロベニア)、レイキャビク(アイスランド)、ジェノバとカモーリ(イタリアの港町)、ヘルシンキ(フィンランド)、ポルト(ポルトガル)あたりです。ただ、訪れた場所はどこも魅力的でした。以下、しばらくは自己満足のアルバムになります。

誕生日会をしてもらいました。まさか三十路を超えて、こんなパーティーをしてもらえるとは思わず、一生の思い出になりました。
「北北西に曇と往け」という漫画を見て訪れたいと思っていたアイスランド。大自然。
イタリアのジェノバから電車で30分のカモーリ。イタリア人の親友の故郷を案内してもらいました。
ジェノバの夕焼け。本当に美しい景色は無加工でも美しいのであった。
個人的にめちゃくちゃ穴場で当たりだったのがスロベニア
ポーランドのポルト。ご飯が美味しい港町です。
フランスのストラスブール。絵本の中みたいな可愛らしい街です。
でもやっぱり、この景色が一番の思い出です。


6 留学を最大限楽しむ

この記事を(ここまで)読んでくださっている方がいらっしゃるとすれば、これから留学に行かれる方又は迷っている方ではないかと思います。留学に行くメリットとデメリットについての私見と、行く場合の大事なことをまとめておきます。

【メリット】

・世界が広がる
……と書くと、なんだか大学生頃の「自分探し」海外旅行みたいでいきなり安っぽくなりますが(笑)、なるべく解像度を上げて言語化を試みるとすると、日本の外でどのようなビジネスが行われ、どのような法的な議論がなされているのかが鮮明に分かり、また、日本の外にどれだけ優秀な法律家がいるのか痛感することができます。例えば、私が学んだ航空宇宙法は、まだまだ日本には研究者が少ない領域でして、少数の碩学によって支えられている印象があります。他の実定法と比べると日本における航空宇宙法の論文や書籍の数は極めて限定的です。他方で、欧州では、航空宇宙法の研究者や専門の弁護士、さらにはこれらの法律のブティックローファームまであり、文献や論文の量も豊富です。弁護士が専門とする法の範囲の違いも面白く、日本の法律家は、多くが国内法のみ、クロスボーダーの取引や国際仲裁を専門とされる先生が諸外国の法律や条約のレベルまで取り扱っているというイメージです。しかし、欧州では、各国の国内法-EU法-条約という階層に分かれており、多くの場合、少なくともEU法までの知識は企業法務を行う上で不可欠と聞きます。こういった多様かつ多層的な法律を操り、しかも英語のほかに複数の言語を使用して諸外国との取引を進める弁護士が「普通に」います。もちろん、日本国内にも英語を流暢に操る弁護士はいますし、私の前職・現職の先輩、同僚、後輩にもいましたが、日本では英語は契約書やメールの読み書きだけできれば(あるいはそれさえできずとも)、他に卓越した専門性や経験があれば企業法務弁護士としてやっていくことができるため、「多様かつ多層的な法律を操り、しかも英語のほかに複数の言語を使用して諸外国との取引を進める弁護士」であることは必ずしも求められないように思います。このような私から見ると、多才とも言える弁護士がうようよといる世界に触れる経験ができたことは、語学力へのモチベーションを含め、もっと海外での仕事もこなせるようになりたいという思いを新たにする強い動機づけとなりました。

・新しい刺激に満ちている
……また抽象的な表現をしてしまいましたが、東京で弁護士をしていた5-6年間は、良く働き良く遊びの毎日でした。これは留学中も留学後も大きくは変わりませんが、日々学びのある仕事はともかく、「遊び」の面では多少なりマンネリ化していたことも事実でした。今のところブランド物や高級車に特に興味のない私は、基本的に報酬の使い道はお酒や食事、たまに国内旅行というものでした。もちろん、気心しれた友人たちと将来の夢や愚痴や、くだらない話をしながら飲む酒は毎日でも楽しいものでしたし、留学中やウィーンに滞在している今もこういった日々が恋しくなる時も少なからずありましたが、それでも新しい友達と英語でパーティーをし、新しい国に旅行に行き、その国の歴史や文化に興味をもって勉強をしてみたり、様々な国際会議に出席してみたりといった日々は日本での良く言えば「鉄板」な、悪く言えば「マンネリ化」した余暇をぶち壊す新たな刺激の日々でした。思えば、高校→大学→大学院→修習→就職と、法律家としての20代は所属するコミュニティが変わる機会が数年おきに強制的に変わる日々でしたが、年を重ねるごとに、(もちろんクライアント等の仕事関係でのお付き合いは広がりや変化を見せつつも)自分の周りの人間関係や環境は変わらないことに気が付きます。留学は、強制的に自分の環境を変化させ、新しい刺激を感じるという意味では大変有意義な「名目」でもあったと思います。

クラスメイトと参加したギリシャでの航空法学会
クラスメイトの寮の友達(=つまりほぼ初対面)等とボードゲームパーティー。
カタンは世界共通のボードゲーム。

・自分のキャリアを見つめ直す時間となる
私は、良くも悪くも詰め込みに詰め込んだ毎日でしたが、日々の弁護士業務から離れ、ゆっくりと海外で過ごす時間は今後の人生プラン・キャリアを見直す絶好の機会です。奇しくも、弁護士業務を中断し、ウィーンで公務員として働いている今は、ここ数年で一番時間がある時期でして、余裕の三十路となったおじさんが今一度「自分探し」をする豊かな時間となっています。笑

【デメリット】

・お金がかかる
特に言うまでもないことですが、お金がかかります。特に昨今の円安の影響で、米国も欧州も生活コストは相当かかります。留学費用は、どの程度贅沢をするかによってかなり左右されますが、学費を含めると1,000万円は余裕でかかりますし、米国だと学費"だけ"で1,000万円弱は消えてしまうのではないでしょうか。その結果、単身で行くか家族で行くかでも大きく変わりますが、引越し代や渡航費等の初期費用も考えると「少なくとも」都合1,500-2,000万円近くはかかってしまうことにもなり、このお金をどう工面するのかが最大の難関であるようにも思います。貯金はもちろんですが、事務所や会社からの経済的支援のほか、奨学金(私は申し込みませんでしたが、、)も検討することが重要になります。2,000万円という金額は相当な大金であり、ほんの1年間でこの金額を支払うのかどうかというところは大きな懸念事項にはなると思います。私は、まさに円安の煽りを受けたタイミングでして、学費を払った時点では1EUR=135円程度だったものが、留学中には1EUR=160円にも達しており、学費を払った後だったのが不幸中の幸いではありますが、暮らしにかかるお金は東京で暮らしていた頃と比べても、結構大変でした。事務所からの支援とクライアントの皆様のおかげで、かなり豊かな1年間を暮らすことができたと思います。ちなみにルクセンブルクの物価は大変なことになっており、タリーズコーヒー的なチェーンのカフェでサンドイッチとコーヒーを頼むと20EUR近く(3,200円程度)しました。ラーメンとビール1杯で6,000円くらいします。このルクセンブルクでの3ヶ月間は経済的にはかなり大変な期間でした。もちろん、それを超えるだけの良い経験ではありましたが。。

・キャリアが中断する
弁護士としてのキャリアが中断してしまうことも大きな懸念事項だと思います。私は、訴訟案件の経験を積みたく(もちろん、理由はそれだけではないですが)今の事務所に移籍しましたが、どうしても複雑な訴訟となると1年や2年では終わりませんから、必然的に留学が終わるまではお預けとなります。また、1年間、事務所で扱うような先端的な会社法・金商法まわりの案件から離れてしまうことは、復帰後に改めて1から積み重ねていかなければならない状況になることを意味します。もしお客さんが大勢ついている先生であれば、引き継ぎや契約終了も視野ということになってしまうでしょう。多かれ少なかれ、留学は弁護士としてのキャリアの中断であることは間違いなく、特に3-5年のいわゆる「超若手アソシエイト」ではなく、それなりの年次となった先生にとっては苦渋の決断になってしまうことも稀ではないと思います。実際に、担当している訴訟を最後まで完遂するために留学に行かなかった先輩や(その結果、貴重な経験を積まれ、現在の大顧客になっているようです)、これはこれで弁護士としてのキャリアの断絶という側面も若干ありつつも、留学の代わりに出向に行き、専門性に磨きをかけた先輩もいます。何が正しいかは分かりませんに、全てを得るのは難しいのかもしれません。

・海外での生活固有のストレス
私は、周囲の環境に恵まれたので、総じて楽しい留学生活でしたし、もう1回人生があっても留学に行きたいと思うほどではありますが、それでも、毎日の生活が英語であることや、日本の文化・友人と離れることはストレスではあります。特に英語が非ネイティブの私は、役所手続から携帯電話を買うまで、日本よりも億劫で面倒なものでした。市役所に行って手続きをするというのは日本での暮らしであれば、タスクにもならない程度の数十分の作業かもしれませんが、海外で同じことをしようと思うと、予想外に時間がかかり、半日潰れてしまうこともざらです。新しい環境に身を置くことの宿命ではありますが、当然ながら新しい刺激・楽しいことの裏には、それだけの面倒やストレスがあることは改めて実感しました。


とにかく、英語に臆せず、積極的に授業にもイベントにも参加することが大事だと思います。また、留学の準備から現地での生活は情報戦なので、志望校の卒業生が身近にいれば、出願から現地での生活まで、事細かに相談することをおすすめします。さらに、日本も同じですが、現地の法律事務所や企業は「学生」に対して優しいです。「学生」という身分を存分に生かして、様々なイベントに顔を出したり、企業や事務所を訪問することも有意義と思います。

5 留学後のキャリアを考える

1 研修
大手事務所の場合には、(必ずではないにせよ)留学後に研修先を手配してもらえるパターンが多いと思います。そのため、米国LL.Mを念頭に置くと、米国LL.M卒業→NY Bar→米国法律事務所等での研修という流れが一般的で、留学は、(i)英語力や海外の法実務の体得、(ii)ネットワーキングの構築、(iii)(特にそれまで忙しい大手事務所の場合は)キャリアをゆっくり見直すモラトリアムとしての意味があるかと思います。もちろん、私は大手から留学に行ったわけではないので、上記は推測です。

基本的には、上記の推測が正しいことを前提として、小・中規模事務所から留学に行く場合も留学の目的とするところは、大手事務所からの留学生と同じかと思いますが、こと欧州に行く場合にはいくつかの注意が必要です。

まず、イギリスを除く、EU加盟国で研修先を見つけることは容易ではありません。ここでの「研修」というのは無報酬又は低報酬の「インターンシップ」としての研修ではなく、いわゆる「客員弁護士」として正規弁護士に近い報酬をもらって1年程度研修をすることを意味します。インターン程度であれば、突撃すれば受け入れを検討してくれる事務所はそこそこ存在します。この研修先を見つけるハードルにはいくつか理由があり、まず、米国とイギリスと異なり、欧州の多くの国では英語以外の母国語が存在しており、英語+その言語を使えることが現地で勤務することの重要な条件となっています。たとえば、ドイツの法律事務所であれば、英語とドイツ語を流暢に使えることがその条件となることが一般的です。もちろん、所属事務所と強いコネクションがある場合には受け入れてもらうこと自体は可能かと思いますが、現地の企業法務(または一般民事・刑事法務)が英語だけで行われることは稀であり、その国の言語の知識がないと、対応できる業務量に相当の制限がかかってしまいます。宇宙関係の案件は英語がほとんどなので助かりましたが、実際にルクセンブルクでの研修中も、宇宙関係以外の契約書周りは半数以上がフランス語であり、対応が難しいものも多々ありました。次に、適用される法律の問題もあります。米国が州法と連邦法を持つように、欧州では各国の国内法とEU規則が存在しています。自身が取り扱う分野(研修先で担当する分野)につき、その国の法律と関連するEU規則の両方を知っておく必要があるパターンが珍しくなく、特に、欧州法のコースではなく、航空宇宙法や人権法等の特定の分野の法律を学ぶ学生からすると、研修先で求められる知識が不足している可能性もありうると思います。また、米国やイギリスと比べると、日本の企業法務事務所と密に連携をとっている欧州の事務所は多くなく、日本人の客員弁護士としての受け入れの実績がない法律事務所が米国やイギリスに比して多いこともハードルの1つと言えると思います。

次に、欧州の場合、ヨーロッパのLL.Mを出ても、それだけで現地の法曹資格をとることができないことが多い点にも注意が必要です。もちろん、日本で働く日本人の企業法務弁護士がニューヨーク州資格やカリフォルニア州資格を持つことの意義についてはさまざまな見方があるとは思いますが、少なくとも、米国のLL.Mに留学する場合にはニューヨーク州資格の取得がセットとして認識されていることが多いかとは思いますが、欧州の場合には各国がそれぞれの司法制度を持っており、多くの場合にはLL.Mを卒業しただけでは現地資格の受験をすることはできませんので、何か「資格をとる」ということを目標とすると欧州のLL.Mは不向きな可能性があります。なお、カリフォルニア州の資格はニューヨーク州の資格とは異なり、日本の弁護士としての資格を有していれば受験資格があるんで、欧州のLL.Mを出てカリフォルニア州の資格を取るということも可能ではありますが、もはやLL.Mと資格との関係性が希薄なので、LL.Mとカリフォルニア州の資格のそれぞれにキャリア上の意義を見出せる場合でないと意味がないように思います。

研修先としては、(i)日本プラクティスがある法律事務所にアポイントをとって交渉する、(ii)現地の日本企業の法務担当として働くことができないか交渉する、(iii)固有の法分野の知識が重宝される(その知識で外国語能力の不足や外国法の資格を持たないことを補填できるほどの希少性が発揮できる)領域の法務ポジションを目指すと言うことになるかと思います。ちなみに、私が今働いている国際連合はJPO試験という試験を経て2年間の任期付で働くものではありますが、これは研修とは全く違う位置付けなので、また記事を改めようとは思います。

2 その先
私は、現在留学を終え、数ヶ月事務所に復帰した後、国際連合宇宙部の職員として働き始めました。このあたりの話は、(詳細は機密保持との関係で書けないところもありますが)どんな暮らしをしているのかまた改めて日記程度の記事を書ければと思いますが、少なくとも、LL.Mで学んだ国際宇宙法の知識を活かす仕事に就けていますし、まだまだ改善点だらけですが1年間の留学生活で英語を使うことにもだいぶ慣れたので、この経験があってこそ、今なんとか一応働けている状況です。ということで、こと私に関して言えば、短期的には留学をした意味が存分にあったことになりますが、結局、長いキャリアで見たときに、この1年間をどのように位置付けるのか、専門性や語学力を磨いた1年だったのか、資格を取得するために有意義だった1年なのか、ネットワーキングを広げることができた1年だったのか、人生の夏休みだったのか、、それはその人次第であるように思います。オランダでの1年間が私のこの先の人生でどんな意味を持つのか分かりませんが、少なくとも、死ぬまで忘れることのない経験であったことだけは現時点でも確かであるように思います。

と、無難なまとめをしたところで、気がつくと1万字超えの大作になってしまったので、この辺でこのテーマは終わりにしたいと思います。もし、このダラダラとした記事を最後まで読んでくださった方がいるとすれば、御礼を申し上げるとともに、少しでも何か参考になれば良いなと思います。

これから留学に挑まれる先生を羨ましくも思います。
楽しい1年になると思います。

Bon Voyage!!


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