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【短編小説】ある日、屋台のおでん屋で

東京のとある駅近郊に、気まぐれな屋台のおでん屋があった。
店を開ける日自体不定期な上に、出没場所も固定されていない。ある時はガード下、ある時は河川敷、そしてある時は空き地、はたまた公園脇の交通量の少ない道端、などなど。共通しているのは、いずれも駅から少し離れた場所ということだけである。
店主は人の好さそうな初老の男で、いつもデニム地のエプロンを身に着けてにこにこと屋台に立っている。
この屋台、実は天界と魔界からの来訪者の間ではちょっとした人気店である。
提供されるおでんの味もさることながら、店主は公用語が話せるのだ。
天界人・魔界人からしてみれば、公用語の通じない中道界においては、このおでん屋は言葉の心配をすることなく過ごせる、貴重なスポットということなのだろう。
本日は駅から15分ほど先のガード下に陣取り、屋台と急ごしらえのテーブル1つの体制で、夕暮れの中、元気に開店である。

開店すると、さっそく一人の男が店主の前に座った。
「いらっしゃい」
いつもどおりにこやかに出迎えた店主の顔が、その男の顔を見るなり、ぱあっと明るくなった。
「ヤン君じゃないか。よく来てくれたね」
「久し振りだね、ラディン君。なかなか来られなくて申し訳ない」
二人はにこにこと笑顔を交わし合う。どうやら親しい友人のようだ。
「ヤン君。飲み物は?」
「ウーロン茶を貰えるかい?あと、おでんを適当にみつくろってくれると有難い」
「わかった」
ラディンはまずウーロン茶を提供し、その後大きめの皿におでんを盛りつけた。
「さあ、食べてくれ」
「相変わらずいい匂いだ。頂きます」
ヤンは顔をほころばせると、早速おでんに箸をつけた。
「ところで、最近の天界はどうだい?」
「平和そのものだよ。戦乱の時代が嘘みたいにね。尤も、私は相変わらずあっちこっちに呼ばれて厄介事を頼まれてばかりだ」
「ふうん。天導師様は相変わらず忙しそうだね」
ヤンは魔法使いのトップ・天導師という地位にあるのだ。
「いい加減誰かに代わって欲しいが、なかなかそういうわけにもいかなくてね」
と、ヤンはじんわりと苦笑した。
「そうだ。ラディン君。トパーズの皆さんは変わらず穏やかに過ごしているから、安心してくれ。今日はそれを君に伝えたくてね」
ヤンの言葉に、ラディンはしみじみとした微笑みを浮かべた。
「そうか。皆変わりないか。良かった」

ラディンは、かつて天界に存在していたトパーズ国の王だった。
トパーズ国は豊かで穏やかな国だったが、戦乱の世にあっては好むと好まざるとに関わらず、他国との争いに巻き込まれること度々であった。
そんな折、トパーズ国は現天帝の国である、アメジスト国の攻撃に晒されることになる。アメジスト国は圧倒的な武力を背景に力づくで周囲の国々を支配下に置き、勢力を拡大し続けている「やっかいな」国であった。
しかも、彼らは攻撃の対象を武人や魔法使い、それに王族に限定し、一般庶民や彼らが暮らす街には一切手を出さないという、別の意味でも「やっかいな」相手であった。
トパーズ国は必死の抵抗を試みたが、残念ながら敗北した。ラディンを始めとする王族はアメジスト国の追手が迫る中、ヤンの手引きで中道界に逃れたのだ。本来なら、天導師を務めるヤンは常に中立を保つべきであり、この件に手を出してはいけなかったのだけれども。
ヤンの読み通り、さしものアメジスト国も、異世界までは追って来なかった。ラディン達は慣れない中道界ではあるものの、平穏な日々を手に入れてほっと胸を撫で下ろしたものだ。
やがて、天界はアメジスト国により統一され、その後天帝が代替わりしたタイミングで大規模な恩赦が出された。かつてアメジスト国に対抗した勢力については過去の罪を一切問わない。異世界に逃れた者は安心して帰ってきてもらいたい、という。
始めのうちはこの呼びかけに応じる者は殆どいなかったが、魔法庁と二大神殿からの後押しもあり、ぽつぽつと天界に帰還する者が出てきた。
そして、今ではトパーズ国所縁の者は皆、天界の元居た場所に戻っている。唯ひとり、王であったラディンだけを残して。

「ラディン君は天界に戻ってくるつもりはないのかい?」
ヤンの問いに、ラディンは首を横に振った。
「一般庶民ならいざ知らず、王の立場ではちょっと、ね。とてもそんな気持ちにはなれないよ」
「そうか。そんなもんかね」
「それに、中道界も住んでみると案外いいものだよ」
ヤンが目を上げると、そこにはにっこりと笑う友の顔があった。
ラディンはどうやらここでの暮らしが心底気に入っているようだった。
「あったあった。今日はここだったか」
「目撃情報、ばっちりだったね」
ヤンの背後で公用語で語り合う若い男の声がした。
「いらっしゃい」
ラディンは彼らに笑顔を向け、ヤンは少し左側に移動して二人分のスペースを確保した。
「えーと、とりあえずビール二つ。それから、俺は大根とがんも」
「俺は白滝とさつま揚げお願いします」
「はい、ただいま」
ヤンは少し冷えたおでんを齧りながら、ラディンが働く姿をしみじみと眺めていた。


本日は「言霊の奏で人」のスピンオフ短編小説を書いてみました。
本編はNolaノベル様にて鋭意公開中です。
宜しければこちらもどうぞお楽しみください。
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