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【短編小説】龍を滅した者の名は

これはまだ天界が戦乱の世であった頃。
天界の龍が人間の手によって滅ぼされるという大事件があった直後の出来事である。

イシュタルは小さな肩掛け鞄と腰に護身用の剣を下げただけの身軽さで、天界の二大神殿・暁の宮近くの森を散策していた。彼はあの災厄からたったひとりだけ生き残った、少年の龍であった。
あの時、彼は酷い毒で侵された上に自分を庇った父親ごと剣で切り裂かれ、瀕死の状態だったところを薬師のジン達に助けられた。そして、ジンが自らの命を掛けてイシュタルの毒を引き受け、ジンの師である「全てを知る者」がイシュタルを魔界に連れて行き、最先端の医療機器を駆使して彼の怪我の治療にあたってくれたことにより、どうにか一命を取り留めたのだった。
身体の傷もさることながら、理不尽にもひとりぼっちにされてしまったイシュタルは心にも深い傷を負った。ジンをはじめ、暁の宮の神官たちはそんな彼にさりげなく寄り添い、時には当たり散らされ、時には泣かれたり甘えられたりしながら、彼が前を向けるようになるまで辛抱強く付き合った。
その後、ジンから「もう出歩いても大丈夫」とお墨付きをもらったイシュタルは、暁の宮に一室をもらい、出来る範囲で神官たちの手伝いをしながら少しずつ日常に戻ろうとしていた。
そんなわけで、今日はリハビリを兼ねて、身体と相談しながら出来るだけ遠出をしてみるつもりだった。
まさか、出かけた先で一族の仇に会うことになるとは思わずに。

暫く歩いた先に清らかな川のせせらぎを見つけたイシュタルは、そこで暫し休息を取ることにした。
まずは冷たい川の水で喉を潤し、傍らの大きな石に腰を掛ける。
座った途端に身体に疲労感が広がるのを自覚し、
(ちょっと、頑張りすぎちゃったかな)
と、額の汗を手の甲で拭った。そして、
(それなら、栄養を取っとかないとだな)
とばかりに、持参した焼き菓子を取り出した。これは暁の宮を出る時に、食事当番の神官からこっそりお裾分けされたものだった。
「あ、うまっ」
一口食べるなりイシュタルは目を輝かせ、ぱくぱくと続けて菓子を口に運んだ。
最後の一口を飲み込んだ時、川の上流の方から人の足音が聞こえてきた。
「わあ、奇麗な川!ノエル様、ちょっと寄っていきましょうよ」
(!)
女の声を耳にしたイシュタルは歯噛みした。
「ノエル・・・ノエルだと・・・!」
途端、イシュタルの全身から憎しみと殺気が噴き出した。
ノエル。それは、龍を滅ぼした憎い仇の名だったのだ。

やがて、足音の主はイシュタルから5メートルほど先の川縁に姿を見せた。絹糸のような長い黒髪、天女のように白く美しい顔に穏やかなルビーの瞳、華奢ですらりと伸びた手足。その出で立ちは武人の平服姿で腰に細身の剣を差しただけの身軽さだ。年の頃はイシュタルと同じぐらいの少年である。
そして、傍らに赤い陽炎に包まれた少女の姿の精霊を連れている。先ほどの女の声はおそらく彼女のものだろう。
(間違いない、あいつだ)
それは、イシュタルにとっては忘れようとしても忘れることの出来ぬ、父を殺し、仲間を滅ぼし、そしてイシュタル自身にも瀕死の重傷を負わせた者の姿だった。
天界最強の武人。美しい死神。アメジストの破壊神。そんな異名を持つ恐ろしい少年の名前は。
「ノエル!!」
イシュタルは叫ぶように仇の名を呼ぶと、凄まじい殺気を発しながら腰の剣に手を掛けた。
思いがけず名を呼ばれたノエルは、不思議そうにイシュタルを振り向いた。
「あっ、ノエル様。この子、龍じゃない?」
イシュタルが持つ龍の気配に気づいたのか、傍らの精霊が耳打ちした。
「龍か・・・」
ノエルの赤い瞳が細められた。
「余すところなくわが手に掛けたつもりだったが、討ち漏らしがあったか」
淡々と語るその姿は、イシュタルの感情を逆撫でするに十分過ぎるほどだった。
「お前の、お前のせいで、龍は・・・っ」
イシュタルは怒りで身体を震わせた。そのままじりじりとノエルに向け、間合いを詰めていく。
「あら、ノエル様。この子やる気よ」
そんなイシュタルをからかうように精霊の少女は含み笑いした。
「どうするの?殺しちゃう?」
ノエルは右手を軽く上げて彼女を制した。そして、
「やめておけ。そなたは私には勝てぬ」
腰の剣に触れることなく、静かな声音でイシュタルに呼びかけた。
「なっ・・・」
「尤も、そなたが龍に変化すれば一縷の望みはあろうが、その様子ではそれも出来まい」
(・・・っ)
ノエルの指摘に、イシュタルは怯んだ。
図星だったのだ。
龍が人間の形から本来の姿に戻るにはそれ相応のパワーが必要で、イシュタルの回復度合いはまだそれが出来る域には達していなかった。
(こいつ、どうしてそれを)
イシュタルの青い瞳が歪んだ。
「あら。ノエル様。この子、見逃してあげるつもり?」
不満そうな精霊の声に、ノエルは軽く頷いた。
「私の仕事はあそこで終わりだ。アラベラにもそのように報告済みであるし、今更死体を増やしても仕方なかろう」
アラベラとはアメジスト国女王の名である。
「蒼き龍の少年よ。ここでそなたには会わなかったことにする。早々にこの場を立ち去るがよい」
「み、見逃す、だと?」
ノエルの呼びかけに、イシュタルは恥辱で顔を真っ赤にして怒りの声を上げた。
「な、何を勝手な・・・お、俺がまだ子供だと思って、ば、バカにしてるのか・・・っ!」
例え少年でも、彼はどこまでも誇り高い龍なのだ。
イシュタルの様子に、ノエルはびっくりしたように目を見開いた。
「いや、そなたをバカにしたつもりはないのだが・・・」
そして、
「綺羅。彼はどうして怒っているのだ?」
と、困惑した様子で傍らの精霊に助けを求めた。
「龍は無駄に誇り高いから、見逃してやるって言われてプライドが傷ついたんじゃない?」
綺羅と呼ばれた精霊は大仰に肩を竦めて見せた。
「そうか。それは悪いことを言ってしまったな。申し訳ない」
綺羅に指摘されたノエルは、イシュタルに向けてぺこりと頭を下げた。
(な、なんだこいつ・・・)
今度はイシュタルの方が困惑した。
(変わった奴だな・・・調子が狂っちまうじゃないか)
「綺羅。私としては彼と戦うつもりは全くないのだが、この場を丸く収めるにはどうしたらいいだろうか」
イシュタルの困惑をよそに、ノエルは綺羅に相談を持ち掛けている。
「ノエル様もお人好しね。あなたなら、こんな龍の子供なんかひと捻りでしょうに」
「それはそうだが・・・とにかく、彼に害を及ぼさずに済ませたいのだ」
どうやら、ノエルにはノエルの考えがあるらしい。
「それじゃあ、あの子はほっといて、私たちが立ち去るのが早道じゃないかしら」
綺羅の提案に、ノエルは頷いた。
「なるほど。では、そうしよう」
次の瞬間、ノエルは綺羅に抱きつかれた状態で力強く大地を蹴ると、上空高く飛び立った。そして、瞬く間にその姿はイシュタルの視界から消えてしまった。
それは、到底生身の人間とは思えぬほどの速さだった。
イシュタルはどういうわけか憎い仇の後を追うことも出来ず、ノエルが消えた空を茫然と見上げていた。

夕方になって、イシュタルはとぼとぼとした足取りでしょんぼりと暁の宮に帰って来た。
「お、イシュタル、おかえり。散歩か?」
丁度居合わせたジンは、例の笑顔でイシュタルを出迎えた。
(ジンさん・・・)
その顔を見た途端、イシュタルの緊張が緩んだ。そして、
「・・・!」
声にならない声を上げて、彼は勢いよくジンの胸に飛び込んだ。
「わっ」
イシュタルの不意打ちにジンは2、3歩後ずさったが、どうにか倒れることなく彼を抱きとめた。
「イシュタル?」
イシュタルはジンの胸で泣きじゃくっていた。
ジンはその身体をそっと抱きしめ、頭を撫でてやりながら、イシュタルの気が済むまで思う存分泣かせてやった。

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「ノエル様。さっきの子のこと、何か理由がありそうね」
綺羅はノエルと共に空を飛びながら、遠慮することなく話し掛けた。
「あの少年のことは覚えている。父親に庇われながら私に斬られた少年だ」
ノエルは淡々とした口調で即答した。
「確かにあの時、私は彼の息の根を止めなかった。あれだけ毒に侵され、しかも深手を負った身体では到底生き残れまいと思ったのだ」
「でも、生きていた?」
「そうだな。恐らくは優秀な薬師に助けられたのだろう。それも、驚くべき手腕を持った者だ」
「ノエル様。それってもしかして、暁の宮のジンとそのお師匠様のこと?」
「おそらく。少なくとも私はそう考えている」
綺羅の言葉に、ノエルは微笑んでみせた。
「今回のことは、彼を助けた者に対する私なりの敬意だ。それ以上でもそれ以下でもない」
そして、彼は死神と呼ばれるにふさわしい、恐ろしい言葉を口にした。
「今回のことで私はひとつ教訓を得た。次回からは確実に息の根を止めて回ることにしよう」


今回はイシュタル君とノエル様のお話を書いてみました。
ノエル様は「言霊の奏で人」には登場しません。天界が戦乱の時代に生きていた人なので。彼が主人公の物語は「言霊の奏で人」を書きあげた後で書いていくつもりでいます。
ええ、イケメン枠ですがそれが何か。

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