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【連続小説】ジンとセレン #2/10 4200文字

セレンはこの地にあるマーカライト侯爵の別邸に住んでいるという。
世間の目もあり、流石の侯爵も同性の妾を居城に呼び寄せることは出来なかったのだろう。
セレンはマーカライト侯爵に身も心も捧げる代わりに、別邸では多くの使用人に傅かれながら何ひとつ不自由のない生活を送っているという。
「目が悪い上に、何の学もない私が生きるためには侯爵様におすがりするより他にありませんでした」
セレンは諦観したように淡々と打ち明けた。
「そんな・・・失礼ですが、あなたのご家族は?」
ジンの問いに、セレンは首を横に振った。
「小さい頃のことは覚えていないのですが、私は戦災孤児だったと聞いています。私は道端でしゃがみ込んでいたところを、たまたま通りかかった方に保護されたそうです」
「!」
セレンの言葉に、ジンの顔色が変わった。
(これは・・・俺と同じじゃないか・・・)
ジン自身もセレンと同様、小さかった時分にひとりで歩いていたところを、通りがかった大人に保護されている。その時の状況からジンも戦災孤児だったと聞かされているが、実際のところ、本人は全く覚えていないのだ。
(もしかしたら、俺たちは)
そんな考えが、頭をよぎった。
セレンはジンの表情が変化したことに気づかぬまま、淡々と話を続けた。
「その後、私は近くの小さな神殿に引き取られ、そこで同じような身の上の子供達と共に生活していました。
他の子供達は学問や魔法を習い、義務教育を終えると次々と巣立って行ったのですが・・・残念ながら私は同じように学ぶことも出来ず、何処にも行けないままでした」
セレンはふーっ、と息を吐いた。
「そんな折、私はたまたま神殿を訪れたマーカライト侯爵様のお目に留まり、お会いしたその日に侯爵様は私の有り様をお確かめになりました。それからほどなくして、私は彼の所有物になりました。
・・・その後、私が居た神殿には、侯爵様から多額の寄進があったそうです」
(・・・なんてことを・・・)
ジンは絶句した。
本来なら人を守るべき神殿が、金で人を売り渡したというのだ。
「あ・・・これは失礼しました。長々と要らぬ昔話を」
ジンの沈黙の意味をどう捉えたのか、セレンは謝罪の言葉を口にした。
「そういったわけで、お申し出頂いた件については、まずマーカライト侯爵様のお許しを頂かなければなりません」
「・・・なるほど」
ジンはただ頷くより他になかった。セレンに掛けるべき言葉がうまく見つけられなかったのだ。
「正直に申し上げますと、お世話になっている身としてはこのような願い事を侯爵様に申し出るのは、なかなか気が引けることで・・・」
セレンは不安気に口籠った。
目が悪く、身寄りも頼る先もないセレンとしては、マーカライト侯爵との関係に変化が生じるようなことは、出来る限り避けておきたいのだろう。
「セレンさん。あなたは先ほど、以前名のある薬師の診察を受けたことがある、と仰いましたよね」
「はい。私が侯爵様のお世話になってから、1年ほど経った頃だったと思います」
「それは、あなたが薬師に掛かりたいとお申し出に?」
「いいえ。私からは何も。侯爵様が、私のために方々のつてを辿って探して下さったようです」
そう語るセレンの表情は何処となく嬉しそうだった。
(なんだ。セレンさんはちゃんと大切に思われているじゃないか)
であれば、と、ジンは畳みかけるように口を開いた。
「私は、侯爵様はあなたの目のことを気にかけておられると思います。今回のお話しに、きっとご同意下さると思うのですが、如何でしょうか」
「ですが・・・」
セレンは膝の上に置いた両手をぎゅっと握った。
彼は、今の生活を失うのが怖い、と全身で訴えかけていた。
(どうも、怖いが先で、何にも考えられなくなっているみたいだな)
ジンは冷静にセレンの様子を観察すると、ふう、と息をついた。
「では、セレンさん。質問を変えましょう」
ジンは殊更に明るく語り掛けた。相手は、こちらの表情がわからないのだ。
「あなたの正直なお気持ちをお聞かせ下さい。あなたは、目が見えるようになりたいですか?」
ジンの問いに、セレンはこくん、と頷いた。
「はい。では、もし、あなたの目を治せる方法があるとしたら、挑戦したいお気持ちはありますか?」
「・・・はい」
セレンは今度は躊躇いながら頷いた。
「ありがとうございます。よくわかりました」
ジンは更に明るく声を張り上げた。
「では、私がマーカライト侯爵様に手紙を書きます。以後、侯爵様との交渉は私にお任せ下さい。あなたからは何も仰らなくても大丈夫です」
「えっ」
ジンの言葉に、セレンは目を見開いた。
「それで、いざとなったら私が悪者になりますし、もし万が一、あなたが懸念されているような結果になってしまった場合は、私があなたを引き受けます。暁の宮でしたら、あなたひとり養うことなど何でもないことです」
その代わり、生活はかなり質素なものになりますが、と、ジンは冗談めかして付け加えた。
「そんな・・・ジン様。あなたは、どうしてそこまで私に」
「セレンさん。それは、あなたが私の患者だからです。私は自分の患者に対しては全力を尽くすことにしているのです。それに」
ジンは、右手でセレンの髪に触れた。
「私も、あなたと同じ戦災孤児でしてね。とても他人事とは思えないのですよ」
ジンはマーカライト侯爵宛の手紙をしたためると、それをセレンに託した。
後は侯爵がこのことをどう考えるかだ。


果たして、マーカライト侯爵から返事が来たのは、サウル一行が暁の宮に戻った後の事だった。
あの後、オニキス国境付近で戦が勃発したそうで、武人である侯爵も戦場に向かったため、暫くセレンと会う機会がなかったらしい。
マーカライト侯爵の手紙によると、
「話の内容は承知した。仔細について相談したいので、忙しい所を申し訳ないが私の別邸に来てくれないか」
とのことだった。
手紙にはいくつか面会日の候補が記載されており、その中で都合のいい日を選んで欲しいという。
ジンは少し考えた後、2週間先の日付を選んで返事を出した。
(とりあえず、打てる手は全て打った。後は直接話をしてどうなるかだ)
ジンは窓に映る自分の影と、遠くオニキスに居るセレンの姿を重ね合わせていた。

さて、マーカライト侯爵との面会当日。
ジンは赤い着物姿の女性と二人、セレンの住まうマーカライト侯爵別邸の前に立っていた。
本日のジンは暁の宮の神官服を身に着け、銀の長い髪は結ばずに後ろに垂らしたままだ。実は、薬師の服装と迷ったのだが、通りが良さそうな方を選択したのだ。
「ジン。今日はあたしがいなくても良かったんじゃないのかい?」
着物姿の女性が面倒臭そうな声を上げた。
「いいえ。師匠には事前にセレンさんの様子も見て頂きたいので」
ジンはすまし顔で回答した。
「ああ、そうかい。そういうことならしょうがないねえ」
ジンに師匠と呼ばれた着物姿の女性は渋々ながら頷いた。
彼女は天界の王侯貴族の間では「北極星の君」、世間一般では「全てを知る者」と呼ばれている人物で、周囲からは色々な意味で畏れられている女性だ。
と同時に、彼女はこれはと思う者を自らの弟子に取り、彼らに対してその叡智を惜しげもなく伝えている一面もあった。ジンもまた、そんな彼女に認められ、弟子にしてもらったうちの一人である。
彼女は、ジンから魔界でセレンの目を治療してやりたいとの相談を受け、弟子の熱意に応えるべく一肌脱いでやることにしたのだ。
「では、師匠。参りましょう」
二人は別邸の門に向かって歩き出した。
「ところで、そのセレンってお人とお前はそんなに似ているのかい?」
「はい。俺も本気で驚いたぐらいですから」
「そうかい。そりゃ見ものだね」
邸宅の門を守る兵士に来訪の旨を伝えると、
「ジン様のことは伺っております。お連れの方もどうぞお入り下さい」
にっこりとした笑顔と共にあっさりと通してくれた。
門の内側では見目麗しい女性が二人を待っていて、
「ジン様。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
しずしずと面会の場となる一室に案内された。
羽振りの良い侯爵の別邸らしく、建物の造りも置いてある調度品も見事なものだ。建物の中に段差らしい段差が見当たらないのは、セレンに対する配慮であろう。
「なかなかのお宅だね」
師匠とジンがゆったりとした椅子に腰かけると、タイミングよくお茶が運ばれてきた。
供された茶器から、ふわっとさわやかな花の香が立ち上った。
(ヤンが好きそうなお茶だな)
ジンはお茶に目がない幼馴染を思い出し、目を細めた。
ややあって、マーカライト侯爵とセレンが連れ立って姿を現した。
「おいでなすったね」
「はい」
師匠とジンは席を立って彼らを迎えた。
マーカライト侯爵はセレンより一回り身体が大きく、いかにも武人といった偉丈夫だ。燃え立つような赤毛に、口元には立派な髭を蓄えていて、なかなかの男振りである。
彼の左側に立つセレンは、今日も上等な衣に身を包み、美しく着飾っていた。そして、男に左の腰を抱かれ、彼に身体を預けるように寄り添っている。
(なんというか、お似合いの二人だな。男同士だけど)
ジンは寄り添う二人の姿を見ながら、そんなことを考えた。
さて、大国オニキスの上級貴族の威厳たっぷりに姿を見せたマーカライト侯爵であったが、ジンの隣に立つ着物姿の女性を見るなり、
「あっ」
心底驚いたように口をぱくぱくさせ、
「こ、これは、北極星の君っ!!」
きょとん、とするセレンをよそに、がばっとその場に平伏した。
そして、
「こらっ、セレン、失礼だぞ」
と、慌ててセレンの身体を引っ張って自分の隣に座らせた。
「ティム様、如何されたのですか?」
状況が全く分からないセレンは困惑している。
「おやおや、これは困ったね」
大仰なマーカライト侯爵の反応に、師匠はじんわりと苦笑した。
「マーカライト候、堅苦しい挨拶は抜きにしておくれな。今日はお前さんの隣にいるお人の顔を拝みに来ただけだからね」
「は・・・え?セレンの、顔を?」
マーカライト侯爵は目をぱちぱちさせて、師匠を見上げた。
「そうさ。うちの弟子から、そちらのお人の目を魔界で治してやりたいって相談されてね。なかなか面白そうだから、あたしも一枚噛んでやることにしたのさ」
「あ、あなた様の、お弟子様とは」
「こいつだよ」
師匠はジンの背中を勢い良く叩いた。
「いっ・・・」
ジンは不意打ちを食らって悲鳴を上げかけたが、どうにか口の中で握りつぶした。
ジンの顔に視線を移したマーカライト侯爵は、再び驚きの声を上げることになる。

「こ、これは・・・まさにセレン・・・!!」

<ジンとセレン #3 に続く>


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