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素直になるということ

こんばんは。
日記は久々になりました。

最近、気づいたことがあります。
好きなものを好きと他人に言えるようになったことで、自分の気持ちに素直になることができるようになりました。

綺麗なものを綺麗と。
素敵なものを素敵と。
好きなものを好きと。
この気持ちを
我慢していた気がします。

無理やり悪いところやダメなところを探して、
否定していた気がする。
でも〜
だけど〜
って否定語ばかりを使って。

違った角度から物事を見ることは今でも好きだし、
大事だとも思うけど、
全部につっかかって掘り下げていく必要はないんだなって最近気づいた。
そんなもんか〜と流すことも大事で、
飛び出している釘を無理に打たず、無視することも大切なのだと気づきました。

人とは違った角度から物事を見て、
無意味な自己満足に浸るよりは、
好きなものを素直に喜べる人になりたい。

尖った考え方をもっていることがかっこいいと思っている時もあったけど、そういうのはおしまいにしたい。でときっとまた尖ってくるとは思うけど笑 無理に全部をトゲトゲする必要はない。

笑いたい時に笑って、
楽しんでもいいんだ。

私は本当に0か100の人間だなぁとこういう時に思う。極端すぎる。やるかやらないかのどっちかなんだよ。
だから中間をとることが本当に苦手。ちょうどいい塩梅が難しい。

それでもこんな自分と一生付き合って行かなければいけないから、なんとかしたいと思っている!

でもね、尖った考えで頭が硬くなるよりは
自分の感情に素直になって喜んだり、悲しんだり、怒ったりした方がずっと楽。

苦しさがあまりなくなったかな。
考えすぎてその考えに縛られて窮屈な感じからは解放されたかもしれない。

感情を認識してそれに沿った行動ができるから、心がオープンなんだよね、外に対して。

感情が動くことはとても楽しいね。
これは、感情が止まっていた時があるからこそ感じられるのかもしれない。
ワクワクするって大事なことだな〜と改めて。

日常の中で不満やイライラするともあるけど、
それも全部自分自身の感情で
感じるということは生きているということで
ダメな感情なんてなくて、
ただそう感じたとういうことだけ。

↑これを今まで頭では理解していたけど、体では理解していなかった。

やっぱり体で感じないとわからないこともあるよね。理屈だけじゃなくて。

自分には特に体で体験することが1番いいと思っている。机上の空論は性に合わない。
でも、知識を得ることは大好きなんだけどね。
あー、また「でも」を使ってしまった。
もうクセなんだよね笑

そんな自分でもいいかって最近は思ってる。
そう思えたのはありのままの自分を認めてくれる人を認識したからかもしれない。

今までも近くにいたけど、認めてくれてない!って自分で勝手に思い込んでいた。
もうとっくの昔に認めてくれていたのに。
許されていたのに。
それに気づけなかった。
気づこうとしていなかったのかもしれない。
頑固な捻くれた思想が邪魔していた。

誰かの存在がこんなにも自分を強くしてくれるとは思わなかった。
こんなことは初めてだ。

今まで自分のことも信じられなかったし、
そもそも人間を信じられなかった。

そんな状態じゃ、誰も愛せないし信用できないよね。そりゃ、苦しい訳だ。本当は素直に人を愛して信じたかったんだから。

こんな考え方になるとは自分でもびっくりだし、
一年前の自分が見たら「誰!?」って思うと思う。

人って変われるんだ。

今まで変わりたくて変わりたくて涙してきた。
神様にお願いする時にいつも「変われますように」と願ってきた。
いつまでたっても情けない自分が嫌で。

変わるということは何か変化しなければならないと思ってた。劇的な目に見える変化を。
そんな変化を求めるよりもまず、
現状を認識することが大事だったんだと今になって気づく。

今いる場所を見ずして、
先に進める訳がなかったんだ。
足元が、地面が全然見えてなかった。
そこに花が咲いてることも気づかずに、
遠い未来ばかりみて「変わりたい!」とぼやいてた。
馬鹿だったなぁ。

それでも気づけてよかったし、
今があってよかった。
明日が来るということはなんて素敵なご褒美なんだろう。

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