私の27年間。毒親とAC
初めまして、こにゃこといいます。
私はとても生きづらい人間なのですが、私がどうしてそうなったのか、私がどういう人間で、どういう目的で、情報の発信を始めたのかを書いていきます。
あわよくば、今も生きることに悩んでいる、誰かに届けば幸いです。
タイトルは簡潔に分かりやすくしたのですが、今、私が親を責める気持ちはもうほとんど無いし、私の親が分かりやすく「毒親」という訳ではなかったし、今、親でいる人を責めたくは無かったので、本当は一言ではくくれません。
かなり重くて長いですが、読んでもらえたら嬉しいです。
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私は子供の時から生きづらさを感じていました。小学生の頃から周りに馴染めないと感じていて、女子からかわいい服が似合ってないと言われて、無地の服とズボンばかり着てました。
中学生時代から不登校に。不登校への無理解(あとは親の介護疲れ)から、家族から半年位毎日学校へ行くよう促され、「育て方を間違えた」「お母さんの方が死にたい」等と言われることもありました。私自身が自分のおかしさに気づいて、「精神病院に連れてって」とずっと父に頼んでいたのですが、結局最後まで連れて行ってもらえませんでした。あとは兄から「これ以上親を困らせるな」と言われたことも。ここで初めてリストカットに走りました。この行動は大人になってからも、10年以上続くことになります。
不登校だと、家にいても学校に行っても辛いので、学校内の特別教室に通い、無事卒業しました。
不登校の時から私は完全に家族に心を閉ざしました。親に苛立つようになり、高校生の時から口を聞かなくなりました。
高校生になり、毎日母からは、お弁当ではなく、1000円を持たされていて、使い切っていました。その時の私の金銭感覚はおかしかったと思います。(ただ子供の時、自覚は無くて、お母さんの当てつけのように全額使い切っていました。)それでも学費の振り込まれるはずのお金は振り込んでもらえず、友達皆で行くと約束していた合宿が私だけ行けなくなり、友達との関係が悪くなったこともありました。
お母さんとはほぼ口を聞いていませんでしたが、お父さんからは、パチンコに行くからお金を1000円貸してくれ、と朝起こされたり、ある日は専門学校の時、バイトして貯めたタンス貯金が8万無くなっていていてお父さんを問い詰めると、ごめんも言わずに、「後で返そうと思った」と言われ、お父さんに対して、お金の信頼に関しては0になっていました。
また、酷くお母さんのことを嫌っていた私は、それでも父の言うことが正しいし、味方なのだと、思い込んでいました。「自分の食い扶持は自分で稼げるようにならないと、お母さんみたいに世間知らずになる」と言っていて、私はとにかく、ああはなりたくない。情けない。自分だけで暮らせるように自分で何とかしなきゃいけない、社会人になったら、アルバイトでもどんな方法でも、とにかく働いていないと、人間的におかしいんだ、と思ったのを覚えています。お母さん側はほとんど専業主婦でした。ただ、あまりご飯は作ってくれた記憶はありません。パートはしたことがあるみたいですが正社員になったことは無かったので、働けなど、その辺りはキツく言われたことはありませんでした。今は母側の気持ちも分かるので、父に色々されているのに、母を毛嫌いしすぎていて、父が言うことを丸ごと信じていた私もおかしかったなと、今となっては思います。
専門学校の時渋々就活をしたものの、(働ければバイトでもいいと思っていました。)教師から、就活への意欲が感じられない、出席日数が少ない。そもそも高校の時から出席日数が少なすぎる、やる気が無さすぎる。と怒られて、トイレで泣いたこともありました。何故なら確かに私自身の就活への意欲はないけど、就活を学校から強制的にやらされるし、高校は通信制で、単位さえ取れていれば出席日数は関係無かったから、そこを怒られるとどうしようも無かったんですね。
そのまま内定をもらえずに(もらわずに?)卒業しました。あまり本気で就職する気はありませんでした。正社員になって、すぐ辞めてしまったらどうしよう。逃げられないのでは無いか、責任感を感じてしまう、だとしたらバイトでいいという気持ちの方が大きかったです。)卒業後、バイトで実家暮らししていましたが割とその時は気が楽でした。ただお母さんには、働いているなら家にお金を入れてよ、と言われていたのと、正社員は怖いと思いながら、正社員で働けていないのが情けなくて後ろめたかったのです。
その時、就職した友達から声をかけてもらって、そこでバイトした時の働きが認められて(というか人手不足だったのか…)就職が決まりました。
3年デザイナーをやりました。業界あるあるかもしれませんが、交通費支給無し、ボーナス無し、昼休み無し、休日出勤(しても休日手当等は無し)、残業の概念無し、社員は3人の小さい会社。手取りは16万くらいだったかな。
そして、社長がワンマンな人でした。後で聞くとそれで辞めた新卒が数知れずだったらしいですが、辞めた人は正常だと思います。忌引があっても熱があっても出勤しろ、休むな、どんなに仕事が無くても20時半までは会社に残れと言われていました。(これでも社長に直談判して私だけ短くしてもらった方です。)上司は泊まりこみをしていました。私も仕事上でのミスをして、深夜の3時にタクシーで職場に駆けつけたこともありました。
私はすぐ泣くので怒られることは少なかったのですが、同僚は社長から「殺したくなるよね」「お前耳ついてんのか?」「色盲か?」と言っていたのを聞いたことがあります。
私は、怒られたり泊まりこみが無いだけでマシで、私は恵まれてる。他のところでは働けないし、社長は私のことを拾ってくれた。文句を言っちゃいけないな、と思っていました。ありがたい、とすら。
あとは、日中は家にいたくなくて、むしろ毎日怒声が飛び交っていても私自身は怒られることは無いし、社長が怒っていない時には、みんな仲良しにみえる、アットホームだ、職場の方が居心地がいいとすら感じていました。
しかしその会社に違和感はあって、3年目にして大きなきっかけがあり、その時から少しずつ辞めたくなっていきました。
それからの私は明らかにおかしく、とある時からパッタリといきなり全く眠れなくなりました。社長に精神科に行ったら?と進められ受診し、睡眠薬をもらうようになりました。(今思えば精神科をすすめる社長もおかしいんですが。)
仕事がかなり暇な時期だったこともありますが、おかしかった頃は、出勤してもずっと涙が止まらなかったり、トイレに1時間くらい篭って泣いていたり、数時間ほどビルの階段にうな垂れていたり…他の会社の方から見れば、不審者だったと思います。笑
精神薬が無いと仕事にならず、精神薬を飲んで記憶が無いままパソコンの前で意識が飛んでいたり、精神薬が無いため泣き崩れて仕事にならなかった時があり、社長からは薬を取りに戻れと言われ、わざわざ家に帰って薬を持ってまた会社に戻っていました。今考えれば社畜ですよね。
でもその時は私がおかしいとしか思っていませんでした。
母にも「普通の人は家にもっとお金入れてるんだよ。あなたも入れてくれない?」と言われたり、増やしたお金を手渡しで渡しても、ため息をつかれる、等されていたのと、働けない自分がおかしいんだと思っていたので、親にも一言にも相談しないまま、ついに追い詰められた時がきました。
ある日、死ぬというよりは「骨が折れたら会社を休ませてもらえるかな?」と純粋に思って、会社の入っているビルに突き出し窓があったので、そこから頑張って体を乗り出して外の壁に出て、パイプの上に足をおろしました。あとは窓から手を離せば飛び降りれる状態でした。
その時別の会社の人に見つかり、(ビルの中から見たら手だけ窓から出ているように見えるのでかなり怖かったと思います)その方が他の人の応援を呼んできて、男性3人がかりで私の体を引き上げ、私は突き出し窓からビルの中に戻されました。
「もうこんなことしちゃダメだよ。」
その時に言われた言葉で、私はやっと自分がおかしかったことに気づきました。
翌日。どんなに熱を出しても体調を崩しても3年間無欠勤だったのですが、そこで初めて無断欠勤をしました。
診断書があっても、どれだけ精神がやられていても、そうでもしないと休ませてもらえなかったのです。
それがどれだけおかしいことか、今になっては分かりますが、当初は休んだことに対する申し訳なさでいっぱいでした。
今考えても、中学生の時とデザイナーの時が1番しんどかった時期でした。
その後、会社を退職して、色んなところで働いたり、人に何十万か貸したり、過食嘔吐になったり、ODをして救急車に運ばれたりなど色々ありましたが、それはまた別の話で書こうと思います。
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最後に。
今の私は、当時と比べてかなり生きやすくなりました。睡眠薬だけは手放せませんが、過食嘔吐も、長年続いていたリストカットもやめられました。
そして、ここ数年ほど親と向き合うことを続けています。簡単に言えることでは無いのですが、簡単に言うと、やっとお互いのことが分かるようになりました。
親は私の気持ちが分かるようになり、
私も親の気持ちが分かるようになりました。
ただ、今辛い思いをしている人に親のせいにするな、向き合え、など、絶対に言いたくありません。
あとは逆に親のせいにしてしまえ、なんてことも、思いません。
ただ、あなたが今生きていることが凄いことで。だから、私には何もかける言葉が見つかりません。
ただ、
自分をこれ以上いじめないでほしい。
あなたの辛さはあなただけのもので、比べることはできない。
あなたの痛みはあなただけのものだし、
あなたの命も、あなただけのものだよ。
もう、親の責任は背負わなくていいよ。
とお願いすることしかできません。
こういうことを発信をしようと思ったのも、こういう辛い思いをしても、生きるために、というよりは、自分が楽になるために、どれだけ自分が頑張ってきたのかを再認識するためだったり、自分に上のことを何度も何度も、改めて言い聞かせたいからです。わたしは頑張ってるんだよ、頑張ってきたんだよ、と。
もちろん、今辛い思いをしている人に頑張れなど到底思いません。ただ、同じ辛い労力なら、できれば他人ではなくて、自分を楽にしてあげるために使ってほしいと思います。
私の記事で誰かを「救う」なんてことも、思っていません。
だって、自分のことは自分で救えるだけの力は、あなたにはあるから。
私も、今でも自分をいじめてしまうことはたくさんあります。ただ、数は減らしていきたいと切実に思っています。その為にこれからも記事を書いていこうと思っています。
同じような経験をした方も、してこなかった方も、記事を読んで、少しでも何か心にひっかかるものがあればと思います。
ここまで読んでくれてありがとう。
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