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anime回論 現代版、マルモのおきて「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」

インパクトのあるタイトルは、たくさんのラノベが並ぶ書店の棚の中でも、とりわけ目を引いた。平積みだっただけに尚更だ。

ラノベを買う際に、本屋でタイトルに驚いたことをアニメを見ながら思い出した。

タイトルとは裏腹に、「主人公のサラリーマン、吉田」や「女子高生の沙優」の生活と心が彩られていくのは、とても美しく思える。

前提として、

「吉田が沙優をNPO的な保護として接していること」や

「沙優が吉田さんに対して、自分を正しい道に引き戻してくれているという感謝尊敬に似た感情があること」

が理由だろう。

これは、少し前にあった人気ドラマ「マルモのおきて」を彷彿とさせる。

マルモのおきては、独身男性が親友の子供2人を育てる。という話だが、その子供たちとの出会いは、マルモの私生活を彩り、子供たちは、マルモに対して子供ながらの感謝を持つようになるのだ。

「マルモのおきて」や「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」は、人間関係とは何か?という普段は深く考えないことを、イレギュラーな環境設定を通して視聴者に疑問をぶつけてくる。「マルモのおきて」であれば、家族とはなにか?「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」であれば、愛情の線引きとは何か?あるいはどこか?

社会学には、「自明なことを問う」という考えがベースにある。当たり前のことを違う視点から考えるという意味だが、まさに、このドラマやアニメは、イレギュラーな人間関係を通して、自明なことを問うてくる。

2つの作品で、異なる点があるとすれば、小学生か高校生の違いというより、「マルモのおきて」は、子供たちにとってスタートを描く作品であるのに対して、「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」は、沙優にとってはリスタートを描く作品であることだろう。

いずれにしても今後、「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」は、ストーリーを通して、私たちに何を投げかけてくるのか楽しみだ。

そして、私はそのメッセージに答えることができるのだろうか?

noteでは、よく見るアニメ考察ではなく、社会的、経済的、哲学的といった「学」の視点から、アニメ論を書いています。マガジンとして投稿しているので、登録してくれると嬉しいです。

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