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【エッセイ】ありのままキャンペーンに踊らされる

 ”ありのままで生きようキャンペーン”が始まってどのくらいの時間がたっただろう。世の中では「ありのままで」「本当の自分で」「自分に嘘をつかないで」そんな言葉が称賛され崇められている。それなのに、ありのままで生きようとした瞬間に人々は掌を返したかのように「無責任だ」「墓場まで持っていけ」「気持ちが悪い」と、突然突き放す。世界が正しいとするものに無理やり足並みをそろえようとしたけれど、世界を構成する人間はそれについていけず、自分の都合の良いように解釈して利用するだけになってしまった。そして自分自身の「ありのまま」だけを受け入れて他人の「ありのまま」は排除する。なんて身勝手なのだろう。

 人はみんな何かしらの悩みや葛藤を抱えて生きている。受験、就職、恋愛、結婚、健康。性自認。その人自身の成長や、環境の変化などによってその悩みは移り変わって行く。そしてもちろん、思考回路だって変化していくはずだ。昨日好きだったものが、今日は嫌いになることだってある。昨日正しいと思ったことが、今日は間違っていると思うことだってある。それでも良いはずなのに、そういった事象が起こったとき、「矛盾している」「一貫性がない」と言って切って捨てようとする人が多いような気がする。これもまた最近(?)の流行りである「論破」ブームの所為なのだろうか。

 私自身、「ありのまま」で生きているとは正直言い難い。以前も別の記事で書いたが、かわいいものをかわいいと心の底から言えないし、好きな芸能人の話はほとんどしたことがない。なんせ私は男性でありながら男性が好きなのだから。

 先日、後輩の女子から某K-Popグループの曲を勧められたので聴いてみたところとても好みだった。そしてそのグループのメンバーのビジュアルもまた結構好きだった。のだが、そんなことは後輩には言えないのである。本当は誰がかわいいとかかっこいいとか言いながらきゃっきゃしたいのだが、なんせ私はカミングアウトというものをしていないので、それは難しい。一応曲がとてもよかったということだけ伝えた。「私の推しはこの人なんですよー!」とその時に教えてくれたのだが「わかるー!かわいいよね!」と言いたいのに言えなかった。「へぇ、そうなんだ(笑)」これが限界。

 某グループのメンバーの一人が先日ファンの前でカミングアウトをした。ドーム公演をするようなグループのメンバーがカミングアウトするなんて前代未聞の事だった。カミングアウトをする際にすごくたくさんのことを話していたのだが、その中でも自分はおかしいんじゃないか、、と思ってしまっていた、という言葉が妙に心に残った。泣きながら話していたというのもあるのだろうが、それ以上にその言葉に強く共感したからというのが最も大きな理由だろう。

 「自分はおかしいんじゃないか」私もずっとそう思っていた。と言うより、「自分はおかしいんだ」という確信と共にずっと生きて来た。社会に受け入れられるような人間ではないから、本当の自分は隠し続けて行かなければならない。そう思って今まで生きて来た。でも少しずつ本当の自分を出すことが怖くなくなってきた。それでもカミングアウトをしている人は3人程度だ。やっぱり本当の自分を見せることが怖い。そして恥ずかしい。そんな風に思っている。

 前述の某アイドルグループのメンバーだって、たくさん悩んで苦しんで、結果こういう選択をして、多くの人に受け入れてもらえた。でも本当はファンだって複雑な心情の人はいるはずで、全員が明るく受け入れた訳ではないはずだ。おそらく本人も分かっている。多かれ少なかれ、離れていく人もいるであろうということを。それでも「ありのまま」で生きる為に、カミングアウトをすることを選んだのだから、彼は確実に自分の手で変化を起こして前に進んだ。それはとても勇気のある行動で、尊敬に値することだと思う。

 一方で「ありのまま」を見せたことで、多くの人から批判を浴びた人がいる世界はこんなにも「ありのまま」を称賛しているのに。もっと生きやすい道を選んだはずなのに、逆にいばらの道になってしまったのだろうか。どうしてあんな終わり方を選択したのかは当事者にしかわからない。そして、彼や彼の周りの人が幸福だったか、不幸だったかも当事者にしか分からない。それなのに人はどうして自分勝手に正義感を振りかざして、さも世間一般の代表として放つ、ゆるぎない正論かのような言葉を吐き捨て、並べられるのだろう。

 「ありのまま」で生きる為に全てをさらけ出せと世界は言う。だけど「ありのまま」に生きようとしたら死んでしまうかもしれない。私自身、前述の芸能界で起こった一連の出来事があってからそんな風に考えている。全てをさらけ出したときに生きやすくなるのか、それとも生きにくくなるか。もはや親ガチャ以上にリスクの高いガチャ。ありのままガチャ。私にはまだそれを回す勇気がない。別に「ありのまま」じゃなくたってそれなりに幸せだし。言うも言わぬも、攻めるも守るも、全部自分で決めること。正しいとか間違っているとか自分で決める。だから今は何もしない。何も起こらない人生の幸せをかみしめてどうにか生きて行く。



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