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たまにはレールを抜けても良い(浪人)

中学生の頃から陰で真面目だった。
負けず嫌いで、テスト1週間前になるとよくやる女子の会話
「テスト勉強やってる?」
「全然やってない、どうしよ(汗)」
の表面上の回答をする側だった。
めちゃくちゃテスト勉強した時も、この典型的なうっすぺらい回答をしていたら、100点の社会の点数の者で名前をあげられた時は、友達を失うかと思った。
それから、ほどほどの正直さ(半分は嘘を掛け持ち)で、テスト期間前後のやりとりをうまく行うようになった。

高校生の頃になると、テストの点数を全て見せるのが当たり前になった。
もはや点数を隠す場所がない。なぜか自分が良い点数を取るのを誰にも見せたくなくて、1人でニヤリとしたいタイプだった。私なんてと思う気持ちが強かったのだろうか、でもそんな気持ちを隠しながら9◯点という数字を共有していた。

しかし、あれ、浪人した。
高校ではあんなチヤホヤされてた優秀キャラを、受験時での点数では認めてくれなかった。その時は、なぜか自分を肯定したい気持ちが強かった。だけど、周りですごいと言ってくれる友達は一個上の既成の階段を上がっている。
キャラ崩壊です。

でもあの時浪人したから私は良くも悪くも変われた。
まず、考えることが趣味になった。考えるのって楽しいというふうに。
現役時はとにかく詰め込み勉強。難関大学にいくなら、やはり知識の量で決まると独断をしていた私は、わからない言葉があればすぐにノートにかきうつしていた。
しかし、大学受験はメインが知識ゲーじゃない。そんな簡単じゃない。
思考ゲーだ。
なぜ、ここの問いで間違えたのか考え、その考えに解決策を与えることだ。
私はそこを完全に見落としていた。
思考ゲーをやりまくったおかげで、今では色んな事に目を向けるようになり、世界が広がった。

次にメンタルが鍛えられた。(悪くも…)
私は幼い頃から習い事が続けられなくて、友達に「習い事何やってるの?」と聞かれたら、逐一新しい習い事の名前を答えるタイプだった。
しかし、変わった。
ここでやめたら、自分の成長を止めることになるとか、未来の情けない自分を想像するようになった。
この思考は、"努力のできるカッコいい人"になりそう。
でもブラック企業でも3年は頑張って働こうという盲目思考になりそうで最近自分が怖くなっている…

こんな自分自身を恐怖に思うぐらい変えたのは、受験後半のクライマックス時での追い込みだ。
追い込みという言葉では表せないくらい追い込んだ。
泣きながら勉強したし、久しぶりに鏡を覗いたら首の辺りに蕁麻疹ができていた。
ゾッとした。
でもそれぐらい頑張れてるんだな、自分となぜか悪い意味で前向きになっていた。(baka)
体は幼い頃から元気に育っていたので、特に大学受験において身体をほったらかしにしていたら、ついに身体にまで影響が出た。
心身崩壊してました。
冷静に考えるとこれは、追い込みすぎたな…(悪くも)

最後は良い方で締めくくりたい。
浪人したからこそ出会えた友人がいる。
それはサークルだったり、バイトだったり、留学中だったり。
一年違えば、完全に先輩後輩化していて、一緒に立場関係なく笑い合える関係性にはならなかっただろうに。
旅行も行けたり、恋愛もしたり、小さな喧嘩もしたり、これは浪人をしたからできたこと。(良くも)

でも、こうやって言えるのは、浪人が成功したから。
成功してなかったら、こんな優雅に語れない。
浪人している方もしいらっしゃったら、成功を心からお祈りします。
これが私の1番心に残る選択だ。


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