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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月28日】

※写真は、Chat GPT 4oが作っています。

※江戸時代の暦で書いてます。

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延宝5年6月28日 曇
当番:兵助・治太夫・七左衛門


米泥棒を捕まえろ

(欠落人逮捕者二褒美=欠落人というのは「脱走者」という意味です。江戸時代では、農民や下級武士などが逃亡した場合のことを指します。まとめると、脱走者を捕まえた者には褒美をあげる、という意味です。今回の事件は米泥棒です。)

一御蔵米拾駄ハ、田名部って徒仕欠落候広嶋之作左衛門、今度水戸領中之湊船頭甚兵衛と申者同船=て、宮古浦着岸候付、

御蔵米10駄(「とびん」と読みます。盛岡藩の米蔵に貯蔵された米のことです。10駄は、600kgくらいです。)を、田名部にいる「広嶋作左衛門」という徒仕(見習いの労働者)が盗みました。

その後、水戸領の中之湊の船頭である「甚兵衛」という者と一緒に船に乗り、宮古浦に着岸して逃走しました。


宮古御水主四郎右衛門・八郎左衛門捕候付、為御褒美壱人五駄宛被下候、右之御米相渡可被申候也

これを受けて、宮古の水主「四郎右衛門」と「八郎左衛門」が、2人を捕まえました。

そのため、褒美として、「四郎右衛門」と「八郎左衛門」には、米5駄ずつ与えられました。この米を2人に必ず渡すようにしてください。

米泥棒を捕まえた2人に褒美

右之通四郎右衛門・八郎左衛門=為御褒美被下候付証文出ス、宮古御蔵=ハ御米無之=付、大鎚御蔵之手形出

「四郎右衛門」と「八郎左衛門」に、褒美として与えられたための証文を発行します。宮古の御蔵には米がないため、大槌の御蔵から証文を発行して、米を用意します。


鰹を1300匹捕まえなければいけない

吉田二郎左衛門・藤根五郎左衛門御代官所、両石浦与兵衛と申者、鰹釣候者廿六人、同舟弐艘、今度雇下両閉伊=て鰹釣って、御役-は、伊勢節=仕、千三百節指上度と望候付、

「吉田二郎左衛門」と「藤根五郎左衛門」が管理する御代官所と、両石浦の「与兵衛」という者とその鰹釣り仲間26人が、同じ舟に2艘乗り、閉伊浦で鰹釣りを行います。彼らは、鰹節を1300節(鰹を干して作る保存食のこと)を用意するのが目標です。

先年四つ屋町治兵衛、猟師弐拾人=て千鰹釣候舟弐艘井舟乘候者廿六人雇下、両閉伊之内勝手能所=指置、釣出次第伊勢節=仕、御前へ千三百節指上、其外盛岡へ付出商売可仕候、

鰹節を1300節というのは、数年前に、四つ屋町の「治兵衛」が20人の猟師を雇い、鰹釣り舟2艘を使って、26人が井舟に乗っていました。彼らは閉伊浦内の勝手な場所で釣りを行い、鰹節を御前に1300節を用意した実績があることからです。彼らはその後、盛岡で商売をすることが許されました。

若盛岡-て売余候は、十分一御役指上、他領へ舟=て出申度と訴詔候付、望之通遣候、閉伊浦猟師共障=成候ハㄟ、

もし盛岡で売れ残った場合は、十分の一を御役(役所)に差し出し、他の領地へ行き、舟で出ることが許されました。


市場で売れ残った鰹節は市役所へ提出しましょう


不寄何時無用=可申付候、盛岡ハ不及申、御領分中商人共買候ハㄟ、売買次第売渡可申候、

閉伊浦の猟師たちは障害を起こさず、何時でも無用とならないよう(役人の役に立つよう)に命じられました。盛岡の領内の商人たちは、鰹節を買うことができ、売買次第で売渡されることができます。



鰹節を隠し持っていた場合は処罰します


払残之鰹節他領へ出候刻ハ、御代官へ申断、十分一急度差上可申候、若隠密=て相出候

残りの鰹節を他領に出す時は、御代官に報告し、十分の一を急いで差し出すことになります。
もし密かに出すことがあれば、不正行為とみなされます。

ハ▲可為曲事候、鰹節指上候義は、当九月十五日前=上納可仕候、日前は同極月廿日切之事、猶セリ人候は別人=可相渡者也

鰹節の納品日は、当年の9月15日までです。この日は極月20日の期限です。なお、遅れる者には別途対応(処罰)します。


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