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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月20日】

※当時の写真は、Chat GPT 4oが作っています。

※江戸時代の暦(太陰太陽暦)をもとにしています。


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延宝5年6月20日 晴 当番:兵助

早池峯山の祭礼

早池峯山の御祭礼が無事に終わり、

大殿様へ、

・牛王(ごおう・紙や木製の札・御守りの一種)
・巻数(祭礼に関する重要な書物)
・松の葉(祭礼の重要なアイテム・不老長寿の証)

を差し上げました。
若殿様にも、同じように差し上げました。


閉伊安楽院(岩手にある寺)の上の方に。

・御祭礼の御守札
・松の葉

これらを

門馬別当(寺院の管理・宗教儀礼を執行する役職)の大殿様(敬意を表して、門馬別当を「大殿様」と呼んでいる)

へ差し上げました。



おしく様の結婚

「高橋 惣左衛門」の知り合いの
「齢松院」様(長松院 盛岡の寺)より、

「大久保右京」殿(徳川家康の息子である徳川秀忠に少年の頃から仕えた大久保教隆の子孫。1617年に盛岡の南部利直の元へ。)

へ御相談をして、


江戸で2番目に地位の高い方「おしく」様が、

「遠江守」様(静岡県西部の権力者)
との結婚のご相談が済みました。

以上の内容を、

「下田権兵衛」方より伝えられました。

ご確認ください。

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