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盛岡藩雑書・藩政日誌の現代語訳【1677年6月10日】


10日 寅の刻(午前4時頃)より雨が降り、
卯の下刻(午前6時頃)に少し地震がありました。

同じく已の下刻(午前10時頃)に、
前の地震より少し強い地震がありました。


宿泊と食事の契約書

高野山 遍照光院(現在は宿坊)からの
使僧である「栄伝」が、
上下四人を連れて、領地に降りてきました。

領地内で札守(お守り)の挽回を行うために、
証文を持参しました。


※高野山 遍照光院の使僧「栄伝」が
領地内の各所で札守の挽回を行うにあたり、

出家の上下四人が、一夜宿泊する際、
宿賄(宿の料金)について訴えがありましたので、宿を新たに手配してください。

「奥瀬治太夫」
「楢山七左衛門」
「桜庭兵助」


伝馬(荷馬車)の契約書

高野山の遍照光院からの使者の僧が、
領地内の各地を巡り、札守りを行っています。

僧侶たちが出かける際には、
伝馬三匹を、滞りなく出すようにしてください。

「奥瀬治太夫」
「楢山七左衛門」
「桜庭兵助」


盛岡から各地の領地に向けて

江戸から来た浪人「林権左衛門」のもとに、
10人分の扶持(食糧支給)が支給されます。

6月6日の夜から毎月、
大小の差引き(収支の計算)を行い、
「権左衛門」のもとに、小手形を発行します。

※盛岡の蔵奉行に対して
米を渡すための証明書を出す。

未決囚を拷問

今日
「兵助」「治太夫」「七左衛門」が、

大書院で
横目(監視役)・取次(仲介役)・勘定(経理)方と一緒に、

八木田村の「助右衛門」と「箱石重兵衛」
の訴えについて話し合い、

「久慈七兵衛」の訴えについても
「三吉」の口添えで確認したが、

解決しなかったため、
再度、拷問するよう指示した。

「川嶋覚右衛門」の件については、
大殿様が到着される際に、
江戸へ使者を送るよう指示した。

未決の者に拷問すること
江戸への使者を送ること

北上新川の工事責任者

北上新川の工事奉行について、
「四戸弥五右衛門」が
「川嶋覚右衛門」の江戸行きのため、
後任として北上新川の工事奉行に任命した。


下の橋の破損について

中津川の下の橋の材木が腐っており、
門村の百姓が、
米四俵を運ぶ馬が通った際に、
橋が壊れて、馬が一匹死んだ。


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