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伊能忠敬の測量日記・現代語訳【1800年5月9日】〜測量20日目〜青森

※写真は、Chat GPT 4oが作ってます。
※江戸時代の暦で書いてます。

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山にいるの人間だけではない

同九日、朝六ッ後より曇天、時々小雨、五ッ半頃よ晴て暮より曇る。青森朝六ッ後に出立。一里十三町油川、三里十九町逢田、二里三町三十七間五尺、三里十六町三十間二尺平館、七ッ前に着。止宿。夜少測量。

寛政12年5月9日。
朝6時過ぎから曇天で、時々小雨が降りました。
5時半頃には晴れ、夕方から再び曇りました。
青森を朝6時過ぎに出発しました。

一里十三町(5.34km)の距離で油川。
三里十九町(13.8km)の距離で逢田。
二里三町三十七間五尺(8.25km)、
三里十六町三十間二尺(13.5km)の距離で
平館に夜19時前に到着し、宿泊しました。

夜に少しだけ測量を行いました。

原生林を歩く測量隊メンバーを
注意深く見ているシジュウカラの様子。


友と再会する伊能忠敬

此日逢田にて村上三郎右衛門殿に途中出会、青森過て村々役人出迎、村々堺まで案内、(油川、十三森、庄枝、飛鳥、瀬戸子、奥内、前田、清水、打真部、たり関、小橋、六枚橋、後方、中沢、蓬田、瀬部地、広瀬、蠻田、石浜、深とま、飛弾、屋杉村、今浜、平館。


この日は、逢田で
「村上三郎右衛門」殿と途中で出会い、
青森を過ぎてから村々の役人が出迎え、
村々の境界まで案内してくれました。

以下の村々を案内してくれました。

油川、十三森、庄枝、飛鳥、瀬戸子、奥内、前田、清水、打真部、たり関、小橋、六枚橋、後方、中沢、蓬田、瀬部地、広瀬、蠻田、石浜、深とま、飛弾、屋杉村、今浜、平館

※「村上三郎右衛門」は、伊能忠敬の測量隊に所属していた人物の一人です。伊能忠敬が日本全国の測量を行う際、多くの協力者が必要でした。「村上三郎右衛門」もその協力者の一人であり、特に蝦夷地(現在の北海道)の測量において重要な役割を果たしています。


歩いた距離:41.031km


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