あなたの「たからもの」はなんですか

子供の頃、きれいな色のビー玉やアメの包み紙、かわいい柄の折り紙。そういったものを有名な洋菓子店のクッキー缶の中に入れて蓋に油性のマジックで「たからもの」と書いて大切にしていたことを思い出す。

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家にあるパソコンや車、腕時計、指輪やピアスなど大切にしているものはある。ただそれらは「たからもの」なのかというと少し違うような気がする。大人になり欲しいものが比較的簡単に手に入るようになりモノに対する意識が変わったのかもしれない。

大人になってからの「たからもの」は目に見えないモノと仮定してみる。

今の私をかたちづくったものや思い出がある。そして大切に思っている人がいる。けれど「たからもの」と呼ぶには違和感がある。私にとって大切なものと「たからもの」は異なっているのだろう。

子供の頃どうしてあのお菓子の缶の「たからもの」を大切にしていたのだろうか。それは誰にも取られたくないという思いだった。

私にとって「たからもの」の定義は、私が抱え持ち、誰にも取られたくないものだったのではないか。子供の頃からずっと「たからもの」は鍵のかかる「宝箱」に入れて隠すものと思い続けていた。

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これが、大人になってからの「たからもの」が見つからない理由なのだろう。私にとっての大切なものは決して鍵をかけておきたいものではない。心の中にしまっておきたい大切なものもあるけれど、隠しておきたいものではない。むしろ鍵をかけておきたいものは、二度と見たくない封印したい過去かもしれない。

ビー玉越しにみていたキラキラした景色は、きっとあのころの「たからもの」だったのだろうと思う。

あの頃の純粋な思いは今はない。

私が思っていた「たからもの」は本来の意味とは違っていたのかもしれないが、大切なものが「たからもの」というのであればたくさんある。

ただその中でどれか一つを挙げることは難しい。