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2021年を振り返ってみた

気がつくと2021年が終わろうとしている。この数年は年末感を感じないことが多かったが今年は特にその傾向がある。そして暑い寒いなどの温度感は肌に感じながらも、それが季節の変化であることに鈍感になった。東京オリンピック・パラリンピックが行われたのが数ヶ月前のはずなのに遠くに感じる。その割に昨年の紅白歌合戦はついこの間だったような感覚もある。時空が歪んでいるのではないかと勘違いする。

私の2021年はいろいろな感情が複雑に合わさり凝縮された年だったような気がする。

母の死

寝ていてもいつ呼ばれるのか怯え、仕事中はスマホの通知に母からの着信があると心が落ち、それがいつまで続くのだろうと愕然とし、どこかで母がいなくなればいいと思っていた。そしてそのような感情を持ってしまうことに自己嫌悪する。今年は病状が悪化していた。その悪化は体そのものだけでなかった。どんな人でも長所と短所があるがこの時期は短所だけが現れる状態で、家族だけでなく近所の方も巻き込まれていた。そんな母が6月に亡くなった。これまでの日々はとても長かったが、意識がなくなり救急車で運ばれてから亡くなるまではあっという間だった。悲しみがなかったわけではないが正直ほっとしてしたのも事実だった。忘れていた平穏な日々が戻ってきた。亡くなって半年過ぎた今でもまだ母の呪縛は解けていない。未だに母から逃げようとしている夢を見る。夜の呼び出しのブザー音と似た音を聞くと不安になる。今年で終わるわけではなくずっと付き合っていくのだろうと思う。今でも家に帰ると母が出迎えるような気がする。帰りがおそくなるとすでにいないのに大丈夫なのかと心配することがある。少しずつ子供の頃の優しい母が見えるようになった。日々の中で私の中に存在している何かが少しずつ変化している。

仕事

今年の4月、事業計画の説明の中に来年度は今の組織の業務を縮小するという内容があった。仕事のことなのであまり細かく書けないが、現在はその縮小するための業務を行っている。その縮小において新たな道を探さなくてはいけなくなった人たちがたくさんいる。業務はたんたんと行うしかないが全員のモチベーションが下がりつつある。同じチームの同僚と他愛の無いくだらない話をすることが今の私の支えになっている。

断捨離と植物

つい洋服を買ってしまう。買ってしまうと満足をしてそれほど着こなしたりしない。それは洋服でなくとも良かった。買うという行為に満足する。それがストレス解消になっていた。クローゼットに入りきれずにある洋服をみてはげんなりした。母の遺品整理をきっかけに私も断捨離をしようと決心し、45Lゴミ袋10袋くらいはリサイクルショップに持っていったり処分をした。ようやくクローゼットに収まるようになってからは、ずっとキレイにしておきたいために購入する頻度が大幅に減った。今では本当に必要な洋服以外は買っていない。ただストレスが無くなったわけではなく解消方法が別の手段に変わっただけなのでなんとも言えない。その解消方法は甘いものを食べるはあまり変わらないが、植物が部屋に増え始めたことが若干洋服を買うに近い気がする。ただ植物を購入したことで「開かずの出窓」を整理し部屋に日が入るようにした。そう考えれば悪いことではないのではと思う。

有言不実行

確かえらそうなことを言って英語を勉強するとnoteで宣言したのに進んでいない。自分の中での理由はあるが、正直意志が弱いだけで褒められたものではない。今の仕事が落ち着いてから改めて勉強したいと思いながら、今からやると言えない人は一生やらないもので、やっぱり必要に迫られないとやらないかもしれない。あらためて私のダメさを確認した。

料理とヘルシー嗜好

実は料理は嫌いではないかもしれないと思わせてくれたのは、スープ作りとダイエットのためのヘルシースイーツ作り。外食というかスイーツを食べるのは好きだが、料理は自分好みの味に作れるということが、生まれてこのかた●十年気が付かなかったことが恐ろしい。もともとはダイエットから始まったが、最近では糖質や脂質を大きく意識するようになった。だからといって食べたいものを我慢しない。心も体も健康でいるためには体が欲するものを食べることに気がついた2021年だったと思う。そんなふうにチョコレートやスイーツなどを一日一度は食べるといういいわけをする。

そして今年はなんとnoteの私設料理企画に参加するという驚きもあった。絶対に料理の企画だけは私が参加することはないと思っていたのに、ぜひ参加したいと思わせてくれたこの黄色のトルティージャは幸せを感じたのだろう。


今年の総括と来年について

今年は意識の変化があったような気がする。ただそれはまだ漠然として形づいてはいない。来年はどうなるのかはわからないが今年とは異なるだろう。そして光を探したいという思いが生じた。暗闇の中で過ごしていればいいと思っていた。部屋に日が入るようにしたのと同じように、私も日にあたりたいと思うようになった。少しずつ心の整理をそのスペースを開ける。来年はその一歩を踏み出せればと思う。


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