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2019年を振り返って

2019年はnoteを本格的に始めた年。もうひとりの私を生み出し、そしてたくさんの人とつながることができたことは心の支えになっていました。今は毎日更新することも無く、そして更新頻度も低くなりましたが、マイペースでゆるゆるとnoteと付き合っていきたいと思っています。

今年最後の投稿です。
2020年もよろしくおねがいします。


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今年もあと少し。本当に年々と1年というものが早く過ぎていく。

平成から令和に移り変わりながらも、特別大きく何かが動いた年ではなかったと思う。仕事も私自身のことも。それは今私が求めていた穏やかさなのかもしれない。

朝、夜明けの瞬間を見る。少し冷たい空気の中で見る藍色とオレンジのコントラストはほんの少しの希望を感じるものだった。そして冬になると濃紺の空の中家を出る。凍えるほどの冷たさは空を見る余裕もなく淡々と駅への道を急ぐだけ。それは決して悲観することでもなく、大きな希望があるというわけでもなくそれでも毎日当たり前のようにそんな日々を過ごしていた。そんな2019年だったような気がする。

仕事納めの日、納会ということで缶ビールと少しの乾き物を口にし、周りの人たちにお世話になりましたと一声かけた。その一声も特別な感情があるわけではない。1週間もすればまたいつもと同じ日々が始まるのだから。そんなふうに思うのは私に情緒というものがないのかもしれないと思った。

クリスマスが終わってもまだ青く怪しい光のイルミネーションの下を同僚と一緒に帰りながら歩いた。「もう少し一緒に飲みませんか」と誘われ有名な某ハンバーガーショップに行き同僚はビール、私は飲めないのでコーヒーを頼み日頃のグチなどを言い合った。時々はそんな話をするのもいいなと思う。

結局は年末年始といいながらも、私にとっては長い休日が始まるという感覚しかない。だから2020年がくることは明日がくることなのだ。ただそんなことを思いながらも本当に明日がくるのだろうとかと不安になることがある。それは明日がこないことに対する不安ではない。幸せになりきっていないことについての焦りなんだと思う。

以前 #幸せをテーマに書いてみよう幸せについて考えてみたことがあった。

もしかすると、生きているという証を残すことが幸せなのではと思う。それは「私」という存在を愛しく感じ、そして「私」という存在を必要としてくれること。パートナーや子供といった身近な人かもしれない、そして仕事や社会かもしれない。そしてそれは私自身かもしれない。

穏やかな日々という私の求めていた生き方をしていながらも、私なりの幸せにはまだ到達していないのではないだろうか。

だから明日、いや2020年はその幸せに近づくために生きていこうと思う。