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愛について勝手に語る(恋愛と新明解国語辞典/真実の愛)

恋愛と新明解国語辞典

新明解国語辞典は「日本で一番売れている国語辞典」であり、一部のマニアには「読み物」と呼ばれているらしい。最新版は2020年(令和2年)に発行された第八版であるが、1981年(昭和56年)に発行された第三版の「恋愛」はとても有名で国語辞典とは思えない意味が記載されている。

れんあい【恋愛】
特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持を持ちながら、それが、常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。

新明解国語辞典第三版

「できるなら合体したい」

『「合体」とはなんですか』となどという野暮なことは聞かないが、このぼかしかたはどこか昭和のマンガを思わせる。きっとこの頃の中学生は「合体」の意味も一緒に調べたに違いない。

ちなみに「合体」について調べてみると以下の通り

合体

二人だけで一緒に居たいという思いはその通りだし「できれば合体したい」と思うのは本質を得ているが、もう少し深い部分についての記載が足りないのではと思う。きっとそんな意見が寄せられたのではないかということで、以降の版では以下のように変更されている。

れんあい【恋愛】特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

新明解国語辞典第七版
恋愛

「合体」という文言は無くなってしまったが、私自身の恋愛を思い起こすとそんな思いを持っていたと首がもげるほどにうなずいてしまった。現実は全てを犠牲にすることは難しく、それ故に気持ちだけではどうしようもないことが切なさに繋がっていく。

幸せと切なさというのは紙一重なものだと思う。切なさと悲しみは別のものと思う。この新明解国語辞典の「恋愛」に書かれているように「それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態」というように幸せがあるからこそ「切なさ」があるのだと思う。だから幸せが大きいほど切なさも大きくなる。振り子のようなもので上手くバランスをとり、好きという思いを育んでいくのだと思う。

その切なさがあまりに大きくなり、振り子が動かなくなってしまったとき「恋愛」が終わってしまうのかもしれない。

ちなみに現在発売されている新明解国語辞典第八版では【恋愛】の項目が「特定の異性」から「特定の相手」に変わっているらしい。


真実の愛について

プライムビデオにて「バチェラー・ジャパン4」が始まり、12/2現在エピソード6までが配信されている(ネタバレ無し)

性格もバックグラウンドも異なる15人の女性たちが、たった1人の理想の独身男性「バチェラー」の愛を手に入れるまでを追う婚活サバイバル番組。

プライムビデオ「バチェラー・ジャパン」説明より

「バチェラー・ジャパン」は誰が選ばれるのかという視点で見ているわけではなく、言い方は悪いが人間観察をしているところがある。もし私がここに参加していたとしたら間違いなく精神的にもたず泣く毎日になるし、多くの魅力的な女性がいる中で自信をもってアプローチすることができないと思う。まあそもそも応募することはないし、万が一応募したとしても選ばれることはないので心配する必要は全くない。

今回、配信されている「バチェラー・ジャパン4」は「真実の愛」を見つけることを目的としているが、個人的に「真実の愛」という言葉に疑問を持っている。そもそも「愛」という言葉には「真実」が込められているのではないか。だから逆に「偽りの愛」などという言葉がある。要するに「真実の愛」は「頭痛が痛い」と同類ではないかと思う。

「愛」とは一体何なのか

あい[1]【愛】
個人の立場や利害にとらわれず、広く身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。
「親子の―〔=子が親を慕い、親が子を自己の分身として慈しむ自然の気持〕/動植物への―〔=生有るものを順当に生育させようとする心〕/自然への―〔=一度失ったら再び取り返すことの出来ない自然を いたずらに損なわないように注意する心構え〕/学問への―〔=学問を価値有るものと認め、自分も何らかの寄与をしたいという願望〕/芸術への―〔=心を高めるものとしてすぐれた作品を鑑賞し、その作者としての芸術家を尊敬する気持〕/人類―[3]〔=国や民族の異なりを超え、だれでも平等に扱おうとする気持〕・郷土―[3]〔=自分をはぐくんでくれた郷土を誇りに思い、郷土の発展に役立とうとする思い〕・自己―[2]〔=自分という存在を無二の使命を持つ者と考え、自重自愛のかたわら研鑽ケンサンに励む心情〕」

新明解国語辞典第七版

今回「バチェラー」が求めている「真実の愛」は新明解国語辞典で説明されている「愛」なのかもしれないが、これらは見つけるものではなく育んでいくものだろう。ただ結局のところはこういった理屈や条件ではなく直感のような何かなのだと思う。その直感を選んだら幸せになれるかはわからないし正解も不正解もない。また努力するものでもなく自然とそういう思いになっていく。それが愛なのではないかと個人的に思う。