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#エモいってなんですか?〜心揺さぶられるnoteマガジン〜

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理屈ではなく何か感情がゆさぶられるそんなnoteたちを集めています。なんとなく涙を流したい夜、甘い時間を過ごしたい時そんなときに読んでいただきたいマガジンです。
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#コラム

不格好なパン

2月下旬、新型コロナウィルスの流行を受け、日本国民全体が段々と外出を自粛し始めた。 休日にじっとしていることが苦手な私がまずしたことは、強力粉を買いに行くことだった。 映画を見たり、ラジオを聴いたりすることが好き。それでも何故か、それだけの休日には罪悪感を抱いてしまう。ゴロゴロしながらではなく、パンを捏ねながら映画を見れば、何となく満たされる気がしたのだ。 2月下旬。少しずつ、春の匂いを感じながらも、ヒートテックは手放せない。オーブンに発酵機能がついていることを知ら

雨の日|好きなものを好きというエッセイ

雨の日が好きだ。 雨が降っているのを家の中から見ているのが好き。しんとした家の中で、激しいはずなのに窓ガラスを一枚隔てただけでやさしく聞こえる、ざあざあと雨が降る音。 サーっと音を立てずに降る霧雨より、雨粒がしっかりしていて、ざあざあ降る雨の方が、わたしは好きだ。 * 子供のころ、お母さんと行く買い物はいつも車だった。スーパーにつくと、「すぐ帰ってくるから、まっててね」と、車でひとり待つことがほとんどだった。 すぐ車酔いをしてしまうわたしは、目的地につくまではうずうずと

雨、都心、自由

雨の渋谷を歩く。 空気は冬を纏い、風は頬を刺すように吹き抜けていく。 決して嫌いではなかった。 こういう日は夜空がひどく美しい。 見上げても重い濃灰色の雲が確かな質量を持って広がっている。 すれ違う人々も、同じ方向へ歩く人も 皆、空を見ずに俯いている。 自由に生きたいと願う。 歳を重ねる度に、それは「制約の中で」という前置きがつく。 どこに逃げ出したとしても自由なんてものはどこにもなくて どこに逃げ出したとしても何かしらの障害が立ち塞がる。 壊れてしまいそうな心は 結局壊れ

在上海活下记录 1

芥川龍之介 「上海遊記」に寄せて 私の支那国上海での初日は冷めざめと降り頻る雨であった。 飛行機を降りる前、父が初めて私に教えた支那語は【不要(ブゥヤオ)】であった。ニィハオでもシェシェでもない、ブゥヤオ。意味は見ての通り必要ないという意である。何故と訝しがる私に父は一言「降りたら分かるさ。追いかけてくる男たちに言うんだよ」 機場の外に出たか否か、何十人もの車屋が私たちを包囲した。何かわぁわぁと喚きたてているものの、それが乗っていかないのか?という誘いであることぐらいし

在上海活下记录 2

芥川龍之介 「上海遊記」に寄せて この記事は、前日の在上海活下记录1の続きになります。 悉くしつこい車屋の間を抜け切り、父の会社が用意した車までたどり着いた。そこの車はピカリと太阳を反射する白金色で塵ひとつついていない。ふっと後ろを振り返ると、数かずの車屋の其れは全て黒いがそこにはびっしりと黄砂が付いている..いま自分が立つ白金の車の近くは、突然にそことの空気が隔絶されたような気になった。不相変(あいかわらず)、人の往来に対して、車屋は何かを喚いていた。 ◇ 揺れに揺

思い出は夜に溶けて

覚えていることはたくさんある。 地元の坂道に沿う桜並木 駆け上がって息を切らして笑いあう僕ら 寒すぎるくらい効いたクーラーの匂い 夜のコンビニの誘蛾灯が弾ける音 ざらざらと揺れる夏の青 橙に染まる二両編成の電車 並び合う僕ら 忘れてしまったことはたくさんある。 笑い声 薄れていく面影 朝日に光る涙の理由 囁き声 届いたはずの言葉 明けない夜はないと誰かが言った。 その通りなのかもしれない。 夜が明けた時にどうなってるのか。 それは誰も言わない。 ただ夜は明けると言う。 た

「写ルンです」とモロッコを旅する

平成最後の日である今日、わたしはなにをするでもなく家でごろごろしていたのだけど、途中で思い立って「でもまあ令和まで持ち越すのもやだな」という事項を片付けることにしました。 というわけでなんとなーくモロッコに持って行ってみたものの仕組みがよくわからず放置していた「写ルンです」を現像してみたのですよ。 そしたら、予想外によかったのでみなさんにもぜひ見てほしいのです......! * バスの窓から。 モロッコは観光地が点在しているのでバスで一日中移動していました。もはや

文学 「人間失格」

驚いた。 太宰治は、今まで「走れメロス」ぐらいしか読んだことはなく、その奇怪なストーリーにはほとほと嫌気が刺してしまい、ただの暑苦しい男、ぐらいの印象しか残っていなかった。 それが、どうだ。 初めて、人間失格を読んでいるのだが、なんと村上作品の主人公に似たものか。 これは、手記のようなものだろうか。 太宰の語る「恥の多い人生」の、馴れ初めを語ったものであり、同時に自分の生涯の言い訳をまるごと作品にしてしまったものなのだが、なんと孤独で陰鬱で、屈折しているのか。 その妙

曇天

地元では大雨らしい。こちらは曇り空。敷き詰められた今日の雲は、週末までまだ1日残している人々の深いため息で作られている気がする。雨はまだ降らない。ため息のカタマリはただただ厚みを増していく。そこには、ため息に混じって吐き出したみんなの心の涙が溜まっている。そんなもの浴びたくないから、みんな色とりどりの傘を持つ。人がひしめくあの街は、何色の涙を流すのだろう。雨は神さまの涙なんかじゃない。れっきとした、僕らの涙だ。 曇り空の時ほど空を見上げたくなる。鉛色の切れ間から、白く淀んだ

もし、人生で頑張れる量が決まっているとしたら。

心や身体のことに詳しいわけじゃないし、有識者でもなんでもないけれど、「人には、一生のうちに“頑張れる量”が決まっている」んじゃないかと、思う時がある。 たとえば、Aさんの「頑張れる総量」が全部で「100」だったとしたら、人生の中で頑張れるのは「100」だけ。その「100」は人生の中でどう分配してもいい。高校の部活動で「10 」、大学受験で「30」、就職活動で「20」、仕事で「40」......。でも、全部使い切ってしまったら、もう終わり。倒れたり、病に冒されたり、無気力状態

0903/スーパーサイヤ人にできること

朝起きたとき、硬い髪質の夫が腕の中に潜り込んできた。もふもふ、ちくちく。「あぁ、会社行きたくないなあ」そうだよね、そりゃそうだよね。だってずっと頑張ってるもん。 ぎゅうっと抱きしめる。 私は、私が、この人を守りたいのに。 自分が甘えてしまいたくなる昨今である。 「スーパーサイヤ人並みに家のことこなせたらいいんだけどな、ごめんよ」と呟く。 「スーパーサイヤ人にできるのは破壊だけだよ。色々ありがと」と夫が言う。笑ってしまった。 そっか、そっか。 それ

結婚したかったかもしれない幼なじみの近況

が、急にFacebookで流れてきてハッとした。 ワールドワイドなあいつらしく、何度目かの海外旅行に出かけた写真が複数掲載されていた。 ていうか、Facebook開いたつもり、まったくなかったのだけど。 スマートフォンの誤作動でいつのまにかFacebookの新規投稿画面が開いていて、 しかも謎のひらがな呪文が羅列されていて、 あやうく乗っ取りみたいな投稿をしてしまうところで、 やれやれと慌てて投稿画面を閉じたら、 レンの知らない写真が目の前に表示されていた。 幼なじみ

¥100

【薄い本】Eine kleine Nachtmusik

Eine kleine Nachtmusik (アイネ・クライネ・ナハトムジーク) 『小さな夜の歌』 ・・・ 『セミってさ、昼しか鳴かないらしいよ。夜はどこかで寝てるのかなぁ。』 彼女が急にそんなことを言い出した。既に夜の帳は下りている。夜風で揺れるカーテンの間から、気だるげなネオンが見え隠れする。彼女の服を脱がせ、ブラジャーのホックに指を掛けたところだった。 『なんで急にセミが出てくんだよ。』 少し顔をしかめ、疑問をぶつける。彼女は時々突拍子もないことを突然言い出

いのちの賞味期限  【コラム】

人の身体が壊れる瞬間は、突然やってくる。 私が2年前、2ヶ月も経たないうちに会社を辞めたのが、 ちょうどこの時期だった。 本当に一瞬のようで、密度の濃い時間の中だった。憧れていた広告業界、デザイン事務所に入社した私は、その時はまだ希望の中にいた。 入社初日に終電帰り、入社2日目にして始発帰り、それでも、それが当たり前だと思った。企業研究をすれば、広告業界がどれだけ重労働か調べられるし、それを覚悟の上だった。 入社して1週間、ありがたいことに私は雑誌の数ページのデザイン編