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16歳。初めての海外、インドに行って出会ったこと。

インド研修は、絶望から始まった。

海外研修があるかも?と噂になっていた6月、行き先がインドだということを知った。もちろん任意の、参加したい人だけが参加するプログラム。
今まで海外に行ったことがなかったから、もし行くことを決めれば初めての海外がインドになる。
正直もっとキラキラしたところに行きたかった。アメリカとかシンガポールとか、The海外な国とか、もっと他にあったはず…「なんでインドなの」と思う気持ちがあった。インドというカオスが広がっていて、キラキラとは正反対のイメージがある土地に行くことに、若干、というか大分戸惑う気持ちがあった。
でも、神山まるごと高専が企画したイベントだ。行かないなんて選択肢は最初からほとんどなくて、両親にも行くと軽い気持ちで言った。

そんな軽い気持ちで参加を決めた自分が憎いほど、事前準備でインドについて調べて知るたびに怖さが募っていった。実際のインド研修も、移動日からすでに絶望だった。でも、今は行ってよかったと心から思うし、インド研修から1ヶ月が経った今でも、忘れられない、大切な経験をした。
16歳の、始めての旅の記録を、ここに残す。


絶望の1日目。

機内食がまず口に合わなかったし、匂いがきつかった。でも、飛行機のCAさんと"ありがとう"という単語だけで仲良くなって、座席のUSBを使ってもいい?と聞かれた時は驚いたけど、そのチャーミングなおじさんが少しの救いだった。(すれ違う時毎回手を振ってくれた。嬉しい。)

翻訳機も使えない中頑張って書いたサンキューカード。

狂犬病の話は嫌というほど日本で聞いていたから、デリー空港で見た痩せ細った犬を見て本当にいるんだと情報が事実になっていった。それと同時に、どんどん情報が事実や経験になっていく感覚に、なんだかワクワクする気持ちも少しだけあった。

でも、空気も汚いし、ホテルに向かうまでもやっぱりクラクションがそこらじゅうでなり続けている。慣れない光景と、体がどうしても合わないし、疲れ果てていたのに、シャワー室は汚くて、1日目は入りたくなくてドライシャンプーで乗り切った。(滞在中はスリッパを履いて入って乗り切るという初めての体験をした。)

次の日の朝、もう早く日本に帰りたいって思いながら起きて、朝ごはんを食べた。何を食べても油っこいし、カレーのような味がする。
拒否反応と、食べたらお腹を壊すと怖くて、ほとんど食べれなかった。

もともと辛いのが苦手だからインドカレーも辛くて食べれないし。8日間戦ったけど、インド食はもう、克服できないものだった。

昼食会場に向かうバスの窓から見える光景は、あまりにも日本と違くて。
ずっとクラクションが鳴り続けているし、牛が普通に道にいる。左側の窓からはスラム街のような景色が見えるのに、右側の窓からはそのスラムを嘲るように高層ビルが並んでいる。
そして、バスから降りた時、初めて物乞いをされた。子どもたちの目やお母さんの目から離れられなくて、ずっと見てしまって、ずっとくっつかれた。
ハローメンって、物乞いの子達が言っていた言葉が忘れられない。

でも、その状況をどれだけ見たとしても、見るだけで、私は何もできなくて。
お金をあげること、お菓子をあげること、できなくて。
それ以外の方法で救うこともできない。

だからただ目を合わせて、無視するしかなかった。
そんな子たちを見た数分後に私たちは、あの子たちが一生かけて食べれるかわからない、インド料理を食べている。あの子たちの存在を知りながら食べたインド料理は、もっと美味しくなかった。
でも、バスが出発する時、子どもたちとお母さんは笑顔で手を振ってくれてた。最後まで。
すごくすごく苦しかった。
手を振る資格なんて私にはないと思って、何もできない私にはそんな資格ないと思って、それもまた見るしかできなかった。

食やお風呂とかの生活が合わないだけじゃなく、インドの光景も私を苦しめた。

うし

でも、その光景にも少しずつ慣れてきた3日目。

スラム出身の子たちが通うNGOスクールに行って、子どもたちと交流をした。
スラム出身と聞いていたから、いる子たちのことを勝手に可哀想と思っていたし、勝手に希望なんて持っていないような笑顔もない子たちだと思っていた。
実際は本当にそんなことなくて、子どもたちは笑顔で、目が合った時に笑ったら、笑い返してくれるような優しい子達だった。その笑顔は、間違いなくインド研修の光だったように思う。
私を救ってくれたその笑顔を、どうしてもずっと持っていて欲しかった。
だから、最後、校長先生が私たちに、「何か学びになることを言ってください。」と言ったとき、「みんなの笑顔が大好きで、嬉しかったから、ずっと笑顔でいてほしい。笑顔でいればきっと大丈夫。私も笑顔でずっといる。」と伝えた。今考えたら無責任に大丈夫と言ってしまったけれど、その言葉は、自分にも刺さって。
インドに来てからずっと目の前を楽しもうと笑顔でいなかったけれど、もしかしたら楽しんで笑顔でいられるのかもしれない。そう思った。
子どもたちと笑顔でいると約束してしまったから、もうクヨクヨするのはやめよう、そう思った。

大切なことに気づかせてくれた子どもたちと離れるのがすごく惜しくて、もっと一緒にいたくて、またねを何度も言いながらハイタッチや抱っこをする時、涙が流れた。

バスに乗るまでの道でも涙が止まらなかった

同時に、今までニュースや教科書で見てきたスラムの子たちとはあまりにも違くて、自分の持っている情報とのギャップを大きく感じて、スラムに行きたいという気持ちがふっと湧いてきた。

プログラムにもしスラムが予定されていたらどうしようと悩むくらい、腹痛だと嘘をついてその日だけ休もうかと悩むくらい、悲惨で危ない場所だと思っていたし、行きたくないってずっと思っていたから、この感情に自分でもびっくりした。
そして、2日後の自由行動の時にスラムに行くことを提案した。
もちろん、私たちだけじゃなくて、スラムの方々との繋がりがある日本人社会起業家の方にお願いをして連れて行っていただいた。

行く前は、悲惨で危なくて、想像できないくらい劣悪な環境だと思っていた。実際も、ハエはたくさんいるし、ベッドも屋根も段ボールや布、木でできたような家で、ここに人が住んでるんだって自分が住むことはまず考えられない、劣悪な環境だった。

でも、想像と全然違ったのは、やっぱり、人。
私よりも心に余裕があったし、ダンスも披露してくれたし、犯罪とは全く反対の、歓迎をしてくれた。
予定していた45分では終わらない、言葉の壁を超えて、音楽で通じ合って、すごくすごく楽しかったし、心から繋がった感覚があった。

最初は緊張してたし、どんな気持ちで入ればいいのかわからなかったけど、そこにいた人たちがみんな音楽を介してつながって、熱かった。今までにないくらいの一体感を感じた。

聴いたリズムでダンスする子がいた。独学だし創作で作っているのに、すごい完成度で、スラムという場所、お家が、一つのステージに見えた。
なんか本当に、才能を持っていた。
彼女はエネルギーと才能に満ち溢れていて、もしスラムじゃないところで産まれたならどうだったんだろう。
スターになってたのかもしれない。とも思ったけど、スラムだからこそ生まれた才能なのかなと思った。
想像でしかないけれど、日中私たちがスマホやゲーム、買い物に使う時間をあるもので遊ぶという時間に使っているのだと思った。だからみんな身体能力が高いのかもしれない。
一緒に行った友達の振り返りシートに、『日本は満ちすぎている。それが幸か不幸か。』とまっすぐな言葉で書いてあったけど、本当にそうだと思った。

ありがとうばかりが、口に出てきた。感動して頭が回らなくて、話せる英語も、感情も、全て「Thank you」だけだった。
でも仲良くなった女の子に、「ありがとうを言わないで。」と言われた。インドでは距離が近いほどありがとうを言わないらしい。
その時に涙が出てきた。
こんな短時間で、私たちよそ者にそんなことを言ってくれるなんて、本当に嬉しかったから。もし私があの子たちの立場に立った時、きっと私は、自分たちのように満ちている国から来た人たちをそうやって受け入れられないと思う。自分たちが知らない誰かのお家に、お邪魔させていただいているというすごく失礼なことをしていることは分かっていた。それなのに友達になれたことが本当に、本当に嬉しかった。

お母さんたちも、あなたのお母さんよって多分言ってくれていた。
何回もハグしてくれた。
また戻ってきてって言ってくれた。

私はそれをしてもらうたび、言ってもらうたび、あそこにいた人たちが私にかける言葉の一つ一つが沁みて、涙でいっぱいだった。
その泣いている私をみて、涙を拭き取りながら泣かないでって言ってくれたのも、嬉しくてまた泣きそうになって。

日本という満ち過ぎている国から来た私にとってあそこは足りないものがたくさんあるところだったけど、人間として、生きることとして大切なものが、日本にはない、大切なことが確かにあった。

大好きな家族がまたできた。帰ろうとしても、何回も後ろを振り返って、またハグしに戻ってしまうほど、大好きな、アイデンティティを全て超えた家族。
本当に本当に行けて良かったし、
「あぁ、もうこれ以上の最高の体験はインド研修中にない気がする」
と思ってしまうほど、心が震えてしまうほど、幸せを感じた。

子どもたち。
写真写真!って言ってくれたお母さんたち。
帰り際もう涙が止まらなくなって、その時に慰めてくれたお母さんたち。

スラムに行った後は、マーケットに行って、値切ることを多く体験した。違うマーケットに行った友達からも、後で合流したら、「ぼったくり」とか、「めっちゃ値切った」とか、「原価」とかめっちゃ聞こえてきた。
今までの自分だったら、安く買いたい、安く手に入れたいと思っていたけれど、少し疑問を持った。
原価で買う必要があるのか?なるべく安く買うことが必要なのか?ということに。
1500ルピーで服を買う、はめちゃ安いと思う。3000円は、日本でも普通に手の届く値段。
だけどそれを値切って原価(かもしれない)500ルピーにするって、なんだか不思議に思う。

あの人たちの取り分、あの人たちの生活はどこに行く?
私たちが幸せになった先で、あの人たちはどうなるんだろう。値切ることが必ずしも幸せで、いいことで、正解なことなのか。

でもそれは、商売をやっている人たちは貧しい人だという先入観も存在していると思った。商売だけに囚われず、インドに対してのこびりついたイメージに対しての先入観かもしれない。
もし貧しくなくて、お金持ちで、私たちを騙そうとして500ルピーが妥当な値段を、1500ルピーにするとしたら、嫌な感情が湧く。
でも、貧しくて、生活に困っていて、500ルピーのものを、生活費のために1500ルピーにしているのなら、その値段で買いたいと思う。

インド研修5日目の自由行動は、幸せを感じる一方で、インドと真正面でぶつかっていた気がした。忘れられない1日になった。


6日目に実際に見たタージマハルは、一枚の絵が空からぶら下がってるみたいに綺麗で、奥行きが感じられなかった。写真に撮っても、絵にしか見えない。

写真で見ても、絵みたい。本当に存在しているかわからなかったけど、中に入って、やっと存在していることを感じた。

めっちゃ綺麗だった。
あそこで私は『外国人』で。日本にいる時、私は外国人を見たら嬉しくなって話しかけて写真を撮る。(小中の修学旅行で毎回2,3人には声かけた。笑)
今度は、私がそれをされる側だった。
どこにいてもpicture ok?って聞かれるし、手を振ったらみんなみんな振り返してくれる。しかも、「え俺!?😳😳🥰」みたいなかんじで。めちゃ可愛い。
10日間の間で、手を振ってくれたら友達カウントっていうのを自分の中でずっとやっていたら、まさかの170人くらいと友達になってた。(ちゃんと数えた)
名前がある『日本人』ではなく、『外国人』という、「違う国から来た人」という生活は、なんだか少し楽しかった。

今回の海外研修のテーマである『Quest for being』も、最高にぐるぐるしてぶち壊れてぶち壊して、羽が生えた。
いつも向き合っているように見せかけて、向き合っていなかった自分の弱さと、本気で向き合った。それは、私だけではなく、参加した一期生みんなで、限られた期間中本気で向き合って、対話をして刺激しあったから。
そして、インド前からずっと、私と本音で向き合って、厳しいことも愛を持って伝えてくれたスタッフさんたちがいたから。
私は、私がするべきことと向かうべき姿勢を見つけることができた。

期間中は、毎日早く帰りたいと思ってた。寝る前にどこでもドアで日本に帰りたいと妄想を繰り広げたこともあったくらいに。

いまだにインドという国のカオスと、現状を受け入れられる、面白いと思える心は持てていない。
でも、やっぱり私はインドの人たちが大好きで、スラムのお母さんたちと友達に会いたいし、学校で出会ったあの子たちにまた会いたいと切に思う。

絶望で始まった初めてのインド旅は、未来へのワクワクで幕を閉じた。

インド研修から1ヶ月経ったでも、たまに写真を見返して、思い出す。
落ち着いたらお母さんたちと友達に、手紙を書こう。

よく、インドに行くと、インドが大好きになって毎年行くようになる人と、もう二度と行きたくないという人に分かれるということを聞く。
私は、どちらかというと後者だ。
インドの食やお風呂などの生活は合わないし、あんなクラクションがBGM化している街には住めない、と思ってしまった。どんな思い出があっても、もう二度と行きたくない。

でも、それだけで終わっていないのは、こんなnoteを書けているのは、間違いなく学校のあの子たちと、スラムのお母さんたちと友達と出会うことができたからだ。
きっと私は、その場所なんてどうでもよくて、ただその場にしかいない人と出会い、心の底からつながることが、どうしようもなく好きなのだ。また私は、インドで出会った人たちに、恋のような温かい感情を持ったのだと思う。

私は世界を知った気になっているだけで、実際は何も知らない。教科書やニュース、SNSで知ったことなんか、ただの情報でしかない。世界に飛び出して、現地に行かなければ、何も知り得ない。でも、今回私が見たインドは、断片的で、まだまだ知らないインドだってある。
だからこそ世界は面白い
し、
そこでの人とのつながりに、また私は感動し、動かされ、パワーでいっぱいになる。

そんなことを知れる体験の場を作ってくださって、私たちの安全管理もやりながら、お腹と闘い、毎晩お話を聞いてくださった神山まるごと高専のスタッフさんたち。

私たちのインド研修をサポートや企画してくれながら、毎晩話を聞いて、短期間なのに深いところまで向き合ってくれた、大好きなタイガーモブの人たち。

そして、一緒に本気で自分のbeingに向き合った、仲間になれた気がした一期生たち。

本当に、ありがとうございました。

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