サモサ売りからターリー屋へ
モハマヤバート初期の主力商品は
持ち運びも提供も楽なサモサだった。
サモサとはどんな田舎でも見かける
インドのストリートフード。
小麦粉を練った生地の中に
じゃがいもの素朴なカレーを詰めて
油で揚げた三角のスナックだ。
まずは、オーガニック系やエシカルなイベント、
知り合いの音楽イベントなどで
1個200円で販売を始めた。
夫はその当時、1年の半分ぐらいを音楽活動で
留守をしていたから、彼の不在時は
私1人で仕込むことも多かった。
小麦粉を練る
じゃがいものカレーを作る
生地を菱形に伸ばして半分に切る
その生地にポテトを詰めて袋を閉じて
たっぷりの油で揚げる
1人で作るなら一晩で100個、
2人なら200個程度が限界だった。
しかも、ガスがない生活だったので
(詳細はマガジンの連載を読んでみて!)
薪を使ったおくどさんと
火加減を調整しやすい七輪を駆使して、
火の様子を気にしながら作業が一晩中に
なることもザラだった。
そんな一晩掛けて作ったサモサは
100個の時も200個の時も、
いつもあっという間に売れていったけれど、
売れてゆく感動、たくさんのお客さんに求められる喜びも束の間、
一晩中、寝ずの労力をかけてもらえる金額に
大きな違和感を感じ始めていた。
100個売れても2万円
200個売れても4万円
これではダメだと思って
段階的に値上げをしていった。
最終的に1個350円になって、
今まで1人で2〜3個買ってくれた人も、
1個しか買わなくなった様子を見て、
値上げしたことに罪悪感を覚えたこともあったけど、
生きていく上でしゃーなしの決断だった。
初めこそ憧れの仕事、好きなことをやっている喜びに心が躍ったものの、
毎日マルシェやイベントがある訳でもなく、
現金収入を得るために山を降りて工場や製材所、渋柿の皮剥きの仕事に行ったりもしていた。
そして、イベントがあればサモサを作る生活。
肉体的にも精神的にもしんどくなることも多く
いつしか、作業中に夫との喧嘩が絶えなくなった。
当時住んでいた家は、家の前まで車が入れず、
100mほどの急な坂道を、自ら昇り降りしないといけない、
まるで山岳民族のような暮らしで、
出店の時はその坂道を、重たい荷物を持って早朝から出てゆく。
その日もたっぷりのサモサと、
ケンカ後の後味にイヤな気分になりながら坂を登りながら、私は心に誓った。
『サモサなんて辞めてやる!!』
好きなことをしているはずなのに、
こんなに楽しくないなんておかしい。
大好きな人と楽しく過ごせないなんてもう嫌だ!!!
サモサを作る数にも、値段にも限界がある。
私は好きなことで食べていくと決めたんだ。
もう、私は、ターリーを売る!
そんなもの売れないかもしれない。
受け入れられないかもしれないし
値段も高くなるから、上手くいかないかもしれない。
でも、喧嘩するぐらいなら
売れない方がマシ。
やめたほうがまし!!
両腕が引きちぎれそうな量の荷物と
大量のサモサと共に、
私はそう心に誓ったのだった。
ターリーとはインド的定食。
ライスと豆のカレーに野菜のカレー、
それに副菜や漬物がついている、いわゆる定食で、
家でよく作ったり、友達に振る舞っては食べてもらって
評判が良かったものだった。
金額の大きな変化も
メニューの変化もとっても怖かったけど
私にとっては夫と幸せに楽しく過ごせることが優先だったから、
これでダメなら、次の手を考えよう、という気持ちで迎えた
ターリーを持っての初イベント。
初ターリーは1000円だった。
350円のサモサからすると、3倍近くの大飛躍だ。
当時のイベントでは、ご飯ものを販売しているのは弁当屋くらいで、
テントでターリーや本気のご飯を出している人はかなり少数だった。
もしかしたら、お客さんに見向きもされないかもしれない。
値段が高いと思われて相手にされないかもしれない
そもそも、こういうちゃんとしたご飯、
イベントで食べるのかな?
気軽に持ち運びが出来る食べ物の方が
喜ばれるんじゃないかな。
不安ベースの予想満載の中、販売がスタートした。
結果・・・
あっという間の完売だった。
目の前には行列ができて、その列を見たら途端に慌ててしまうから
直視できないくらいの列だった。
何が起こっているのかも分からぬまま、
2日分のカレーが1日であっという間に売り切れてしまった。
こんなの日本で食べれるなんて思いもしなかったよ
インドを思い出すなぁ
美味しかったからまた楽しみにしてるよ!
インド料理って、もっとコッテリしてるのかと思った!
たくさんのお客さんから、嬉しい言葉をいっぱい浴びせてもらって、
ターリーが求められていること
高くしたから食べてもらえないと思っていたのは
幻想だったことを知った。
とにかく不安しかなかったけど、思いついたことをやってみて本当に良かったと思う。
あの時、喧嘩しながらでも無理に続けていたら
もしかしてモハマヤバートは存続しなかったかもしれない。
またまた、恋の力を発揮したモハマヤバート。
軽んじてはいけないのが恋の力ってもんですね。
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