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ヒナドレミのコーヒーブレイク    古(いにしえ)への旅

 私は、フラリと訪れた古びた宿を気に入って、もう一週間も投宿している。この宿は、客に諂(へつら)うでもなく、バカ丁寧に応対するでもなく、いい感じに放っておいてくれるのがいい。宿の外観や食事は質素だが 素朴でいいし、部屋も造りは古いが、清潔で落ち着く。まるで実家の自分の部屋にいるようだ。ただし、私の部屋より余程キレイだった。

 普段は出不精の私が、ある時 無性に旅をしたくなった。何故なのかはまるで分からなかった。そして私は、小さなボストンバッグ一つで旅に出た。会社には 現地に着いてから休暇願いの電話をするとしよう。

 今回はあえて観光名所を避け、下町の風情ある場所を訪ねることにした。現地に到着した私は、観光案内所へ行き、古(いにしえ)を感じることの出来る場所を教わった。そして 早速 古を求めて歩を進めたのだった。

 下町の風情ある商店街を歩いていると、心なしか風に古の香りがした。遠い昔に思いを馳せていると、私の目の前にセピア色の景色が現れた。(これはどれくらい前の景色なのだろう)私はセピア色の景色の中を進んでいく。一軒の古びた酒屋が、景色に溶け込むように そこに佇んでいた。

 私は、入るのが当然のように、その店のへと吸い込まれていった。そこでは、腰の曲がった年配の女性が、一人で店番をしていた。

 50年前に嫁いできた時から ずっとこの町で 夫婦で酒屋を営んでいたというその女性に「あのう、少しお話を伺ってもいいですか?」と尋ねると、その女性は怪訝そうに「何か?」と言った。私は、ここへ来ることになった経緯を手短に説明した。

 彼女は納得したのか、遠くを見るような目をして言った、この町は好きだけど 年々 当初の面影は 無くなってきて寂しいと。5年前に、長年連れ添ったご主人が他界して この店を畳むつもりだったが、朝起きると店を開けている、とも言った。

 何十年も経てば、古き町並みは徐々に様変わりする。それは仕方ないこととは言え 寂しい。出来ることなら 昔の面影を残し、後世にそれを語り継いでいきたい。だが、昔を知らない若者たちが増えてきた今、古(いにしえ)を懐かしむより、利便性のある町を求める若者が多いのかもしれない。

 今回の旅で、考えさせられることは幾つもあった。町を昔のままの状態で残していくことの難しさ、自分の町を失いつつある人々の 心の支えはあるのか?等々。旅人の一人として、自分の町のことのように考えされられた。            
                                 完






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