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ヒナドレミのコーヒーブレイク      話し相手

 その家は、いつも雨戸が閉まっていた。家の中から人が出てくるのを、私は一度も見たことがなかった。だがその家には、年配の女性が一人で住んでいた。私の好きなアイドルと同じ苗字で、何となく気にしていたのだ。

 小説家の私が、気分転換に散歩に出かけた朝のこと。その家の辺りで「あれぇぇ・・・」と声がしたかと思うと、ガタンと大きな音がした。私はすぐに、玄関先へと向かい、大声で「どうかしましたか?」と尋ねた。すると庭の方から「誰か~」という声がした。急いで庭に回ると、庭に面した廊下に 白髪の女性が座り込んでいて「雨戸が・・・」と言った。見ると、庭に雨戸が落ちていた。私はそれを元に戻し、雨戸を開けた。彼女は、丁寧に頭を下げながら、私に礼を言った。

 こんなことがあってから私は、2、3日に一度 彼女の様子を見に行くことにした。彼女は小夜子と名乗った。そして私は聡志だと言った。

 ある時 彼女は言った、一人息子が渡航していて、もう何十年も一人で暮らしていると。男手が無くて困るとも言った。訪ねてくる人はほとんどいないため、話をすることもないと言う。(何て可哀そうな人だ)私は小夜子さんに同情し、彼女の話し相手になろうと決めた。そして時には、足の悪い彼女の手助けをした。

 3ヶ月ほど経ったある日、小夜子さんは かなり年季の入った箪笥を指さして言った。「もし私に何かあったら、そこにある私の全財産を聡志さんにあげるわね」私は心外だった。そんなつもりで小夜子さんの話し相手になったのではない。

 私は小夜子さんの言葉に憤慨して、4、5日は小夜子さんの家に行かなかった。1週間が経った。(少し大人げなかったな)私は反省し、小夜子さんの家に行ってみた。「この間はごめんなさいね、そんなつもりで言ったんじゃないのよ」謝る小夜子さんの顔色は良くなかった。私も、自分が大人げなかったことを詫びた。

 「明日はね、聡志さんと二人でお食事をしようと思うんだけど、お昼頃 来てくださる?」小夜子さんがそう訊いてきた。私は「わかりました」と言った。

 翌日 私が訪ねて行くと、小夜子さんは私を客間に通してくれた。テーブルの上には、数えきれないほどの料理が並んでいた。「さあ、食べましょう」小夜子さんが言い、二人で食事を楽しんだ。だが小夜子さんは ほとんど食べていないようだった。そして1時間ほど経った時、小夜子さんは「とっても楽しいわ」と言いながらその場に横になった。それきり、小夜子さんが二度と起きることはなかった。私は、小夜子さんの箪笥の『全財産』のことが頭をよぎったが、そのまま手をつけることはなかった。                      
                                完

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