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読書体験を取り戻す日記#18.19壬申の乱覚えられない

本読んでません!

その代わり、何回見ても覚えられない壬申の乱〜聖武天皇までの家系図をまとめます。
(サムネは東大寺から奈良を見下ろす私です。)

(余談)
前職は印刷した紙をホチキス留めて資料を作る仕事がよくあったのだけど、
1週間職場から離れただけで右留めか左留めか、どっちでやってたのか分からなくなった。
息をするようにホチキス留めしてたのになぁ。

壬申の乱です。
38天智天皇の後継者争いの内乱です。
天智の同母兄弟の大海人皇子(40天武天皇)と
息子の大友皇子(39弘文天皇)の戦い。
※ちなみに万葉集で有名な額田王は天智天皇の妃で天武天皇の元妻。かの有名な万葉トライアングル。

天智天皇が崩御した後、ひとまず息子の弘文天皇が即位。
その後、大海人皇子が挙兵、壬申の乱が勃発。
大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位。
※大友皇子は自害

これが壬申の乱ですが、その後の展開も大切なためメモです。
天武天皇の崩御後、天武の息子である草壁皇子を皇太子にたてる。
即位までの間、天武天皇の后である鸕野讃良皇女が政治を行う。
しかし、草壁皇子は病のため薨御(27歳)。
鸕野讃良皇女が41持統天皇として即位。
そこから先は↓
42文武天皇:草壁皇子の息子(25歳で薨御)
43元明天皇:草壁皇子の妻
→文武が早くに薨御したため皇后を経ず急遽即位
44元正天皇:草壁皇子の娘
45聖武天皇:文武天皇の息子
聖武天皇の前にはこんなに女性天皇がいたのね。

↓家系図

持統天皇すげ〜天平のゴッドマザーだなぁという感想と、やはり聖武天皇に来るまでの展開が激アツだよね、、という奈良ロマンです。

先日の勉強会で、
いい加減ちゃんと律令と向き合ってくださいと怒られたので、
いざ向き合うべくまずは、家系図の整理をしました。。


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