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統合失調症の私が尿膜管遺残症になった話ー入院3日目ー

入院3日目
布団がやけに暑い。部屋は確か22度に設定してあるはずなのに汗だくだった。どうやら手術室を出たところから電気毛布を掛けられているらしかった。
まだ何も動けないので暑さに耐えるしかない。
酸素マスクが口に当てるものから鼻の下にセットするチューブ型のものになった。
昼にはもう食事がでてきた。おかゆとやわらかめのおかずだった。
統合失調症の薬も昼から飲むことになった。
点滴をずっとしてるので空腹感はなかったが食べる事で回復も早まるらしいのでベッドの頭部分を上げてもらって少し食べた。
6分の1くらい食べれたことろで胃やら腸やら内臓が動いたせいなのか傷口に激痛が走って来た。もうこれ以上は食べられない。

統合失調症の不安時の頓服薬も飲めるようになったので少し気が楽になった。
しかしまだ自分では動けないので不安時の薬を飲むだけでナースコールを押さないといけないのが申し訳ないなと思ってしまった。看護師さんはいつもとても忙しそうだった。

午後になってあまりの激痛と近くの部屋から聞こえてくる例の叫び声で少しパニックになった。声を出して「痛い…!!!お腹が痛い…!!!」と泣いてしまった。
泣き疲れて少し眠ったあと主治医の先生がきて「今日看護師さんに手伝ってもらって少し立ち上がってみてくださいね」と言っていった。
え?安静にしていても激痛なのに立ち上がれ?何を言ってるんだ???と正直思った。
(後から思えばこれくらいのペースで治療してくださった先生に感謝…。)
夕方、看護師さんが私の立ち上がりの補助をするために部屋に来た。
まず起き上がるところから。ベッドの頭部分を最大限まで起こしてもらい、手すりを持つ。そこからもう激痛が走る。
しかしこれをクリアしないと退院がどんどん遅くなる。入院費もかさむ。ここが踏ん張りどき。
なんとか体を起こし、ベッドから足を下ろし、看護師さんの肩とテーブルに掴まりながら10秒くらい立つことができた。
「やりましたね!今日これが出来れば大進歩ですよ!」と、看護師さん。
まだ立つだけで歩けないがもうしばらくこれをリハビリにしようと思った矢先、主治医の先生がきてこう言った。
「明日の朝にはもうおしっこの管抜くからトイレまで歩いて行ってください」
トイレは部屋に備わってない。部屋を出てナースステーションを越えて廊下を歩いた先にある。
そんな無茶言うな!と思った。

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