真夜中に自分の無駄を考えてみる

真夜中、真っ暗な部屋でPCを開いています。
こんなことは何年振りでしょうか。
体調を整えることを当たり前と考え、睡眠時間をきちんと取り、食事もバランスを考えて、少ない収入で長年やりくりしてきました。
それゆえ、こんな時間にPCを開くことは、ずっとなかったのです。

日付が変わっているので昨日ですが、体調不良で欠勤しました。
原因をネットで検索してみましたが、1つ前の記事に書いたような事情で医療機関へは行かず、夕方まで寝込みました。

現在の仕事に関して電話で連絡があり、半年間の努力や悩みやいろいろなことが無駄になりました。
「人生に無駄なことなど何もない」といろんな方から言われたこともありますが、昔の結婚をはじめとして、私にはいくつもあります。
時間にすると、軽く10年以上にはなるかと。

無駄なことがないというのは、無駄だと考えたくないということではないかと思います。
私自身も、人から言われてそうなのかもしれないと思うよう努力してきましたし、一時的にそう思えているような気がする時期もありました。
しかし、現実から目を逸らすことが正しいわけではないと、今は思います。

努力と結果は比例しません。
結果とは、単純に「努力の成果」と、それとは全く別で「他者から評価された場合のみ認められる成果」の大きく分けて2種類あります。
前者で比例しないことは納得できますが、前者で比例するのに後者で比例しないという場合は、やる気、ときには生きる意味もなくすことがあります。
私は社会人になって以来、後者を嫌というほど体験してきました。

もちろん他の方々も、「それが社会だ」と、私などよりずっと回数も度合いも比較にならないほどの体験をなさってきているだろうと思います。
「そんなこともスルーできないで、いい歳をして頭がおかしい」と言われるのだろうとも想像しています。
それでも、私という人間は、誰とも違っているので同じようにスルーできないでいるのです。

無駄のお話に戻ります。
焦燥感よりも虚無感が支配している今、表向きは「引き継ぎ書類を作成する時間があるかどうか」「後任の方が早く来てくださるかどうか」「引き継ぎができるかどうか」といった心配を、私はして見せています。
しかしながら、定時上がり必須&物価高だろうが決して時給は上がらない職場ですので、本音は「引き継ぎ書類を作成する十分な時間はなさそう」「その内容は後任者のスキルによるから手厚くするかテキトーにするか迷う」「自分以上に時間内にマルチタスクで対応できる人が同じ待遇できてくれるとは思えない」といったところです。不遜極まりないともとれますが、実際はどこでもそんなものだと経験上感じています。
それらは、無駄になったことが作り上げている表向きと本音に他なりません。

本音も実態から導き出されているので、無駄ではなかったという捉え方もあるかもしれません。
ただ、こと私の人生にとっては、この年齢で半年以上もかかって出てきた結果を見ると無駄だったということになります。

今日の体調も、たどりついた仮定がもし正しければ、今回の就業によりもたらされたことが一因になっています。
無駄はゼロだと思いがちですが、実のところ、残念ながらマイナスです。

さて、明日から私はどう過ごすのかといえば、おそらく職場で私が辞めることが知られるまで自分から誰にも何も言わないでしょう。
誰も気づかないほど、これまでと同じように定時に収まるよう必死に仕事をして、もっとひどくなるかもしれない通勤電車で疲弊し、さらに体調を悪化させていくのです。
何カ月もかかった交渉がすべてゼロ回答だったのですから、契約が終了する12月終わりまで、何もできることはありません。
これが、本当の無駄というものだなと、あらためて認識する明け方。

起床予定の時刻まで今から2時間。
もし眠ってしまうと、絶対に起きられない自信があります。
欠勤すると、時給の私は税込&社会保険料込みの金額も、もちろん手取り額も必然的に減りますので、前日の謎の体調不良よりも、睡眠ゼロで出勤することを選択しなければなりません。

契約終了になって良かったのです。
こんな状態で3カ月更新になっていたら倒れて、契約途中で終了となり、次の仕事を紹介してもらうこともできなかったでしょう。


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