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ばあばの焼きおにぎり

祖母は、料理が得意な人ではなかった。
数ヶ月前に天に召されるその瞬間まで、教員を絵に描いたような人だった。
むしろ冷たくなってひつぎにおさまってなお、「先生」とたくさんの人に呼ばれていたその光景は、祖母というより大好きだった先生の葬儀に出ている気持ちにすらなった。ちょっとだけね。

学校教育に人生を注いできた祖母は、一時期学校に行けなくなったたった一人の孫を見て、どう思ったのだろうか、と令和の教育課程を終えた身としては思う。

私はその道を択ばなかったけれど、教員として有り余るほどの能力をくれたのは祖母の血だと思う。そのくらい

料理も、その他家事も全然上手じゃなかった祖母だけれど、私は祖母が作る焼きおにぎりだけは大好きだった。

認知症になり、最後の数年は味も変わってしまったけれど、元気に台所に立っていた時は、私たち家族が家に帰るときに毎回作ってくれていた。

やたらと大きいけれど、醤油の味がちょうどいい焼きおにぎり。

最後においしい焼きおにぎりを食べたのはいつだっただろうか。

焼きおにぎりにレシピなんてない。
それに栃木のおいしい水で炊いた米を、何かしらが分泌されている祖母の手で握るからあの味になったのだと思う。
たとえきっちり分量を計ってレシピを作ったところであの味は再現できないと思う。

1ヶ月くらい前に上司に連れられて行ったご飯会の最後に、酔っ払った上司が〆に焼きおにぎりを注文した。

祖母が亡くなってから初めて食べた焼きおにぎりだった(と思う)

どうしても、どうしても「ばあばの焼きおにぎり」が食べたいと思った。
でも、もう食べられないんだな、という事実の重さが、焼きおにぎりの重さをもって感じられた。

そして、ばあばは死んじゃったのだな、と思った。

亡くなった人と同居していないと、そこからいなくなってしまったということは実感するのが難しい。
亡くなってから、何度も思った
「ああ、死んじゃったのだな」という気持ち。

これは個人的な見解なのだけれど、「ああ、死んじゃったのだな」という感情はとても大切で、その時に悲しいと思ったら悲しむことにしている。
身内だけでなく、たとえば芸能人とかでもね。
無理に悲しまなくていい。
「ああ、死んじゃったんだな」という瞬間が大切なんじゃないかなあ。
その、「ああ、死んじゃったのだな」が少しずつ降り積もって、「そこにいない」という事実が完成するのだと思う。

多分わたしは、居酒屋で焼きおにぎりを注文して食べるたびに、
「ばあばの方が美味しく作れるのにな」と思うのだろう。

私にとっての「祖母が祖母らしかった瞬間」の一つを手伝った「焼きおにぎり」

できればしばらくは忘れたくないな、あの味。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。