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忘れられない海

全てのいのちは海からやってきて、海にかえっていくと思っている。
海は母であり、父だ。
だからわたしは海が大好きで、何かあるとすぐ、海を見に行ってしまう。
そんなわたしにとっての「海」と忘れられない1日の話。

生まれも育ちも埼玉県だけれど、本当は海で生まれたんじゃないか、とか前世は人魚だったんじゃないか?と思うくらい海が好きだ。理由は、両親が海を愛しているからだ。

両親は栃木県出身だけれど、バブルの勢いに任せて(?)ダイビングが趣味だった。海外のいろいろな海を潜ったログを見たことがある。わたしが生まれてからも、海外に連れて行き、バブバブしているわたしを海に入れた。「漬けた」と言ったほうが正しいかもしれない。「浸かっていた」というより「漬かっていた」。わたしは当然、海が怖くなくなった。ついでに英語も怖くなくなった。どこまでが彼らの狙いだったかはわからない。

そんなわたしが留学先として「海が近いところ」を選ぶのは、ごく自然な流れだった。

太平洋側の、海がとっても近い街にある大学に留学した。街の名前に「Beach」が付く土地だった。街に吹く風は、とても気持ちの良い潮風だ。

初めての国際交流パーティーで出かけたのも、初めて日本人のみんなで出かけたのも、やっぱりビーチだった。そして初めて一人で外出した先も、ビーチだった。バスに15分乗れば海が見える街。埼玉からやってきたわたしには想像もつかない世界だった。

何かあれば海に行った。
疲れた時、ちょっと嫌になっちゃった時、ひとりになりたい時、
日本が恋しくなったとき。
この大きな海の向こうには確かに日本があって、そこは夜で、大好きな人たちが眠っている。海は、世界中とつながっている。

忘れられない海になったのは、2月のある日に行ったビーチだった。
日本人のルームメイトとわたしは、同時になんとなく詰まってしまった。彼女には悲しいことが起こって、わたしは一番ひどいホームシックにかかっていた(当時はそうとは思ってなかったけど)。お互い舞台に忙しく、テストや課題にも追われ、部屋に戻る時間や寝る時間がどんどんバラバラになった。たぶん、一緒にご飯を食べる回数も減ったと思う。部屋の空気がどんどん悪くなるのを感じた。

「海に行こう」
久しぶりにゆっくりできる時間が重なった日、どちらが言うでもなく決まった。

彼女は詩集を、わたしは小説を持って、ビーチマットをカバンに入れる。よく行くビーチとは反対方面のバスに乗った。店がたくさん軒を連ねる通りでバスを降りて、二人が大好きだったタピオカを買った。その頃にはもう、店で何かをオーダーするのは怖くなくなっていた。二人で初めてくるビーチへ向かった。

よく晴れて、気持ちの良い日だった。
黙って海を見つめるふたり。
持ってきた本を読むふたり。
タピオカを飲むふたり。

そして海を見つめながら、ふたりでおしゃべりをした。
また明日からも生きていこうと思った。
海がある街に来て、本当によかった。


帰国してから何年も経つけれど、あの日のことが忘れられない。
あの海と、それからすべての海がわたしの味方でいてくれている。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。