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一生忘れられなさそうな旅: 文学史跡しかないところでお姉さんに助けてもらった話

スマホに浮かぶマイナス9度の表示を見て、
きょうは暖かいな、と思った日のこと。

もう5年くらい前の話になる。アメリカに留学している時、アメリカ国内やカナダなどを旅した。
そのうちの一つが、マサチューセッツ州ボストンだった。

日本で一緒にアメリカ文学を学ぶ学友とボストンで落ち合い、ボストン観光をした。お目当ての一つは、ヘンリー・D・ソローの著書「森の生活」の舞台となったウォルデン湖だ。

連日マイナス15度くらいが続く日々の中、その日は少し暖かく、マイナス9度だった。ボストン市街地からウーバー(個人タクシーみたいなやつ)でウォルデン湖に向かう。

凍っているが湖です 英語ではWalden pondなので「池」扱いらしい

ソローはここで、自給自足の生活を送った。
そこで彼が紡いだ

Living is so dear

Walden-Henry D. Thoreau

という言葉は、ぼくが4年間の大学生活で出会った言葉の中で一番好きな言葉だ。だから、ソローは一体どんな街で暮らし、どんな景色を見て「生きることはたいせつなことだ」と思ったのか、自分の目で確かめたかった。

日本語訳版を読ませるぼく

湖を歩いてひと回りし、一通りソローに思いを馳せたのち、コンコードの町に行ってみることにした。

さて、ウーバーを呼んで・・・・
おや・・・・・・・・・・・・・・・
電波がないねえ?!?!?!?!

平成生まれはこれだからダメなんだ・・・
とボストンマダムに笑われそうだが、電波がないと我々には足がない。
これは困った。
一応ビジターセンターみたいなのがあり、そこにも相談してみたが、wi-fiとかはないらしい。マジかよ。

今から考えれば普通のタクシーとか呼んでもらえばよかったのでは?と思うけど、当時の我々は結構呆然としていた。
どうしようか?

すると、中華系の女性から英語で話しかけられた。
どこまで行きたいのか?と。

渡りに船。
ウォルデンにアジア人。

遠慮なく、車に乗せてもらいコンコードの町まで降りていった。

こんなに安心した気持ちになったことは、それまでの20年間でなかったかもしれない。

車の中で話を聞くと、話しかけてくれた女性はニューヨークの大学に留学中で、母国から観光にきたお母様とウォルデン湖に来ていたらしい。
そして、我々のことを中国人だと思ったので助けてくれたらしい。
(大変失礼なのだが、彼女が中国のどこが出自なのか忘れてしまった。というか聞いたかどうかすら定かでないな・・・)
いやいや、日本から来た留学生だよ〜なんて会話をした。
でも実は、同行者は中国語を話すことができた。

英語と中国語が話せる、助けてくれたお姉さん。
英語と日本語と中国語が話せる同行者、
中国語しか話せないお母様、
そして英語と日本語しか話せないぼく。

デコボコな4人で、のどかなコンコードの町へ向かった。
そこで別れるつもりだったのだが、一緒にお昼でも、ということになった。

3ヶ国語が入り乱れるランチを食べた。
言葉なんて通じなくても、寒い日に食べる温かいものがおいしいのは世界共通なんだよな。

コミュニケーションが遮断されていたのはぼくとお母様だけだったんだけどね。中国語を日本語に訳してもらったりして。そこは英語のほうがいいだろ!みたいな、あの場特有の笑いがあった。

ご飯を食べて、ぼくらはお別れをした。
本当に一瞬だったけど、本当にすてきな時間だった。
まず異国の地で、知らない人を助けてくれたそのあたたかさ、
そして不完全なコミュニケーションを超えた会話、
全部が愛おしい時間だった。

その後ぼくらはソローとか文豪がいっぱい眠る墓地を訪れた。
コンコードという町はあたたかい町だった。

こういう稀有な、たからものみたいな出会いは、いっぱい旅する中で見つかるものだと思っていた。だけど、そんなに多くない旅の中で、ぼくの手には有り余るほどの出会いをもらった。

帰国後、まだまだパンデミックを知らない東京で、外国人観光客がたくさんくるようなところでバイトを始めた。
ぼくが、異国の地である日本へやってきた人々には絶対に優しくしたい、と思うようになった理由の一つは、この出会いだと思う。

一生忘れられないボストン旅行になった。

ちなみに、助けてくれたお姉さんとは、今でもインスタで繋がっている。
電波、最高。

#わたしの旅行記

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。