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OUToberについて思うこと

10月10日が国際カミングアウトデーなのに合わせて、10月は6月とはまた違ったベクトルで、セクシュアリティ・ジェンダーについて考える機会がたくさんある月である。

私がこういうことを綴るようになったのも、「10月」がきっかけだった。

留学先の10月

留学先にアメリカを選んだ理由の一つに、自分の中でもやもやする、自分の身体・ジェンダー・社会が自分にくれる記号のなんとなくの不一致と、それをものすごく特別視する空気への疑問を少しでも解決したかった、勉強したかった、というのがある。

留学生活にも少しなれた10月。
いわゆる「課外活動」にも参加する勇気と現地の友人を得る時期である。

フェミニズムの授業の一環で(じゃあ課外ではないか)、LGBTQIA+コミュニティのイベントに参加してレポートを書くというものがあった。

なんかそれはもう圧倒された。
私が参加したのは、カミングアウトモノローグ、というやつで、半オープンマイク形式で自分が思っていることを話すイベントだった。

とつとつと話す人、歌う人、いろんな人がいたけど、とにかく「すげー」という感想を持った。
その時期、キャンパスは虹色に染まる。
最も盛り上がる6月は夏休みなので、学校に人がいる状態で虹色になるのは10月が一番盛り上がる。

自分はそのフェミニズムの先生と授業時間外に対話を重ねることで、自分のジェンダー観やセクシュアリティを整理した。そして言葉にした。とても感謝している。

でもそこに至るまでに、もっと自分ごとに捉えて、表に出していきたいな、自分は、と強く思うようになったのが、この10月だったと思う。

と、同時に目にしたものがあった。


かずえちゃんの存在

かずえちゃんのYouTubeだ。
なんとこれ、この企画の初回らしい。

これを見た時に、なんか黙ってるのは性に合わんな、と思った、
記憶がある。

自分の違和感を言語化するという概念と能力を獲得し始めた時期に、たくさんの刺激があって本当に良かったと思っている。

多分、かずえちゃんのYouTubeを初めて見たのはこれだと思う。


カミングアウトってすべき?ダウト期

自分のジェンダーもさることながら思考も流体のように変化するもので、帰国後「カミングアウトの月ってどうなんだ?」と思う時期が来る。

クローゼットから出るというのは、別にすべきことではない。
勇気を出したがために必要以上に傷ついたり不利益を被ることだってまだまだある。それがいいとか悪いとかじゃなくて、現実の状態として。

だったら、カミングアウトを煽るようなキャンペーンって全然違うような・・・・と困った時期もあった。

そっと静かに、今のまま暮らすことができたら幸せであると思っている人がいる。
誰からも見つからずに、クローゼットの中の方が安全だと思っている人がいる。
ならば、カミングアウトって大きな声で「LET'S」っていうものではない。
なんだか違くないか?と疑ってしまった。


多分そういうキャンペーンじゃない。納得期

今は全然違う考え方を持っている。
カミングアウトデー、アウトーバーって、決して「カミングアウトしよう!」の月ではない。もちろん、カミングアウトはLET'Sではない。
したい時に、したい人が、したい人に対して、したい形で行うものである。

そして、「カミングアウトするぞ!」というテイを取る必要も、もちろんないし、そういうテイをとってもいい。

もしかしたらきっかけがあったらできる人がいるかもしれない。
カミングアウトのあれやこれやを笑ったり泣いたりしながら話すきっかけが欲しい人がいるかもしれない。
そういう話を聞いて勇気をもらえる人がいるかもしれない。
そしてカミングアウトとは何か、をわかってもらうチャンスであるかもしれない。

一人歩きするにはあまりにも大きすぎるワードではあると思うけれど、だからこそいい側面もあるのかな、と思っている。


自分の中ではどでかいムーブメントの1ヶ月だなと思っているけど、もしかしてそんなことないのかな・・・?

秋の気配とアウトーバー。
なんとなくアメリカのあの時のことを思い出しちゃうのであった。

クローゼットの中にいるという勇気も、選択も、弱さも、そしてクローゼットから出てこようとした勇気も選択も弱さも、できるだけ全部抱きしめるアライでありたい。

そしてどこまでも自分に誇れる自分であるために、
自分が健康でいるために、
ラブリーなジェンダーフルイッドでありたい。


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