
あのときの、あの風や空気の匂い
旅行らしい旅行をしたのはいつが最後だろうか。
割と頻繁に新幹線や飛行機に乗ってはいるけれど、仕事だったり帰省だったりで、のんびりプライベートを満喫、とは、なかなか行かないことが多い私たち。
仕事ばかりしていると言えば、まるで売れっ子のようで聞こえはいいけれど、その実ゆとりもないくらい仕事をしなければ食べて行けないのが実情。ああ、哀しいかな、フリーランスという名のとらわれ人。
若いころは今よりずっとたくさん旅をしていた。海外も何度か行ったし、国内も北から南まで陸路や空路で飛び回った。
けれど旅を繰り返すたびに実感することがある。
不思議なことに「あのとき、あの旅のいちばんの想い出」として思い出すのは、行くまではガイドブックを見てはワクワクと胸躍らせていた美しい観光地などではない、ということ。
なぜかいつまでも思い出す景色は、何と言うことのない風景。
むしろ楽しい旅行ではなく、打合せのためにはるばる上京し、合間にちょっと疲れて入ったカフェのテラスの心地いい風や周りの喧騒、だったりする。
このパニーニ(?)もそんなカフェで出会った。恵比寿のカフェだけど、私の住む名古屋にもあるチェーン店だ。それでもあのとき、あの場所でしか感じなかった風が、確かにそこにあった。
それはつまりこういうことなのかもしれない。どんな場所にも一期一会の出会いはある。そしてその出会いとは、何の期待も予測もしていなかったからこそ、より特別なものとして心に刻まれるのではないか。
妄想癖がある私は、事前にあれこれと想いを巡らせ過ぎてしまう。特にかねてからの憧れだった場所に行くなんてことになれば妄想MAXで、「ここで◯◯さんに偶然会ったりしたらどうしよう」などという、ありえないアクシデントまで想像してしまうのだ。
そんな人がどんなに素晴らしい観光名所に行ったところで期待通りになるわけがない。いつもどこかガッカリしてしまう。我ながらなんて損な性分。でもその分備わった資質もあって。
そういった妄想する余地のない、何と言うことのない場所で出会ったお店のひとの笑顔やエサを食べに集まるハトや、心地いい風。それらを、それこそ妄想MAXで、あたかも宝物のように大切に心にしまい込んでしまう。
それが旅で出会う一番の想い出となっても不思議ではない。