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「漫画しか読まない」は恥ずかしい?

文章の作家さんが「漫画じゃないんですね」「コミカライズされたら読みます」「アニメ化されたら見ます」とたびたび言われると切れておられるのを読んで、すごい時代になったなぁと思う。

最初に断っておくと、ここに書くことは私の主観であり「絶対にこうだ」と断定したり「こうしろ」なんておこがましいことを言うつもりはない。

ただ、絵や文章で何とか商品価値を認めてもらえた自分が、今までそれなりに価値基準として置いてきたものなので、今後モノを書いていきたいと考える人の参考になればと思い書き記す。

「漫画しか読まない」がなぜいけないのか

私は前著がコミックエッセイで漫画家でもあるし、もちろん漫画は好きだ。でも私自身30代以降は、普段はほぼ文章の本しか読まない。

世代的なものだろうか。いい年した大人が「漫画しか読みません」というのは恥ずかしいと思う。漫画家を目指す人ならなおさら、漫画だけを読んで漫画家になれると思うなよ、というのがこの業界の常識だと思ってきた。

漫画は面白いし、絵柄が好きだと世界にグッと入り込める。いいところはたくさんある。けれど想像力を育むという意味では、やはり文章の本にはかなわないのではないだろうか。特に良い文章は、情景描写だけで多くのことを伝えてくれる。そのような文章に幼少時から触れることで感性は磨かれる。


他の人よりも前に行きたいと考えるなら

もし自分が人より1歩も2歩も抜きん出たいと思うならなおさら、人とは違うことをした方がいい。まわりが漫画やアニメしか見ない人であるなら余計に、違うものにどんどん触れた方が、人とは違うものが生み出せると思う。

「漫画しか読みません」は恥ずかしいし「漫画しか読まない人」はいい漫画家にはなれないということは肝に銘じた方がいい。いい作り手は皆、最高の映画や文学に触れているものだ。

通っていたスクールでは、良いイラストレーターになるにはよい映画とよい絵画をたくさん見ろと言われたし、よい文章を書く人の多くは子どもの頃から名著を読んできた人である。

林真理子さんなんて、私の若いころは作家ではなくコピーライターで、エッセイで人気になったけど、小説を出した時にはみんな舐めてかかっていたように思う。けれど彼女は中学時代にドストエフスキーを読んでいたというのをエッセイで読んでぶったまげた。

なかなか読めないよ、ドストエフスキー。
白状すると私、高校時代にトルストイは読めたけど、ドストエフスキーはどうしても読めなかったのだ。そんな林さんは今や紫綬褒章を受賞し「元号に関する懇談会」有識者委員となり新元号の制定に関わるなど、日本を代表する文学者となられただけはある。

(とはいえ、もちろん何事も例外はあるかもしれない)

自分はプロの作り手になるつもりはないという人も、教養は人生を豊かにしてくれる。そういったことに興味ないならいいけど。そういう人はnoteなんてやってないし、この文章読んでないでしょ。

ついでにいうと、本を読んでいても「成功の秘訣」や「お金持ちになれる法則」の書かれたビジネス書ばかりでは、やっぱり文章力は磨かれないのでお忘れなく。
(ビジネス書自体や読むことを否定するわけではありません)

文章を磨きたいなら、夏休みの定番「〇〇文庫の100冊」の常連になるような文学作品が一番。


それでもやっぱり売れるのが正義


冒頭の作家さんとは少し話をして、結局「文章だけで話題作が書けない自分が悪い」というところに落ち着いたそうだ。

そう結局は「売れるのが正義」なのだ。

とはいえ、売れるからと言って、漫画やアニメしか残らない世界って殺伐としてるよね。いや好きな人にはそれは最高の世界なのだろうか。

今は小説を読む世代がまだまだ生き残っているから文章の本が売れるけど、この先はどうなるのか。そう思わなくもない。

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