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彼女たちからのブッ刺さる言葉に拝みたくなるから。


先週、夜間授乳をしている時
LINE通知に気づいた。
幼馴染のA子から
「明日、B美と会うんだけどどう??」
とのことだった。

せっかくの3連休だったけど全く予定もないし
平日と同じ規則正しいルーティーンを
消化するだけだったので、
気分転換もかねて「行きたい!」と返事。


産前まで毎月会っていたA子は4ヶ月ぶりで、
B美にいたってはあっという間の1年ぶり。
つまりは会ってない期間の
いろんな情報のアップデートが必要で。
ちょっとお邪魔しようかなぐらいだったのに
2時間が体感10分ぐらいの早さで終わった。
すごくすんごく楽しかった。

A子と会うと
毎回グサっと刺さる言葉を言われる。
恋愛でも仕事でも。
すごく尊敬できて、「尊敬できる」
なんて簡単に言っちゃいけないなと思うぐらい、
その価値観を自分の力で構築したのだと感じる。
そして今回の彼女の言葉。

 「誰かに影響されて、
 やること変えるようじゃダメだよ。
 1年前の正しいが今は間違いになってる、
 なんてザラなんだし。
 どうせ何やっても間違ってるって
 言われるんだから、
 自分はこれだって思うことしなきゃ、
 と私は思うけど。」

ぐっさぐっさ刺さってしまって。
忘れたくなくて頭の中で何度も復唱した。

そしてB美。自分がやってみたいことに
なんでも飛び込んでいく彼女は、
”しゃべってたら富士山登り終えてたわ”
と言ってのけるぐらい体力の化け物だ。

近況報告をしながら、私が

 『そういえばこの前友達が
 “私は社会不適合者だから起業した”
 って言ってたなぁ』

と言いながら

 『私もまた会社辞めてさ。
 社会不適合者なんだよねぇ〜。ハハッ』

って言葉を準備して、もう喉から出るよって寸前

 「社会不適合者なんていうもんじゃないよ。
 そう言いながら働かないほうがいい。」

ぐっっっさっっっ
刺さりまくって仕方ない。
傷つくとはまた違う感覚で。
2人の言葉に何度も時が止まった。


言葉だけ見ると、ちょっとキツい。
私だったら他の柔らかい言い方を選ぶだろう。
でも彼女たちはそれをしない。

そこがとてもありがたいのだ。


大人になる、ということは
学習する、ということだと思う。
いろいろな経験をして、
賢い選択ができるようになるということ。
でも、それが良いことかどうかはわからない。


一時、今までの人間関係で起きた
思い出したくもないような苦い経験から、
賢い選択ができるようにと考えて考えたけど
もう疲れ切ってしまったことがあって。
誰とも話したくない、
傷つきたくも傷つけたくもないと
人との関わりを最低限にしてきた時期があった。

当時、”強い彼女たちには
私の逃げるような選択は理解できないだろう”と
思っていたし、彼女たちを羨むことがよくあった。
でも、あれから少しずつ自分のままで
人と関われるようになってきてわかる。
彼女たちも私と同じように
疲れ切ったことがあったはずだ。
自分の価値観や考えを通すっていうことが
どれだけしんどいか、
私にもわかるようになってきたから。


それでも彼女たちは今でも果敢に
強いコミュニケーションを
取り続ける環境に身を置いている。
傷つくことや傷つけることに
鈍くなったわけではないのに
その環境に居続ける選択をしている。
私には想像もできない傷があるんだろうけど
それでも「甘いだけの環境は嫌だ」と言う。

そんな彼女たちが、私に会って
私に対して強いコミュニケーションをとって
私の心をぐあんぐあん揺さぶってくれることが嬉しい。
へらへらしている私の胸倉を掴んでくれるのが
とてもありがたいのだ。


私たちは存在しているだけで
誰かを傷つける可能性があるし
生きていく以上、
傷つく場面は山ほどでてくる。


だからとても怖い。
でも、その度に彼女たちの言葉が勇気をくれ、
背中を支えてくれるだろう。
彼女たちの存在を感じることができるだろう。



そして自分の言葉を書くようになった今思う。
私もこんな風に誰かの背中を支えられるような言葉を
使う人間になりたい。

あなたが上司に「だからお前は甘いんだよ」
と言われて傷ついている時
あなたが子どもの夜泣きに疲れ切って
毎日夜が来るのが怖いと思ってしまっている時
あなたが大事な人と
離れなければならなくなった時
傍にいて背中をさすってあげられるような、
そんな風な存在になりたいと思う。


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