お気を確かに
不満を抱えて、イライラして、やりたくないことをやらなくちゃいけなくて、不安もいっぱい。
でもそういう心境に身を置くことで、どこかで「安心」している自分もいる。
つらい思いをしているということは、イコール何かのため・誰かのために力を注いでいるという証拠だ。
育児であればこどものため。
家事であれば生活のため。
仕事であれば会社のため、そして収入のため。
多くの人は、生きている限りはそれらの輪のなかに身を置く必要がある。そしてそこに身を置くと同時に、「存在価値」が生まれる。
生まれてきてくれただけでいい、
いてくれるだけでありがとう、
そう言われるのはこどもの頃だけで、
多くの大人は「それぞれ全うしなければならないタスク」を抱えているものだ。仕事をしない上司は嫌われる。
ときどき、タスクと存在価値と自分そのものが混ざってしまい、
境界線がみえなくなることがある。
つらいこともやらなければ自分の価値がなくなるような、
我慢して耐えなければ自分がいる意味がなくなるような、
だんだん我慢することで自分が存在し続けていられるような感覚へと変わる。
あまり深く溶け込むと、引きはがすのが難しい。
「やべえ」と思ったら気を確かに持つしかない。
生きるために働いているのか、働くために生きているのか、ちょっと見直してみる。
嫌いな人が圧をかけてきたら、「お前のために生きてねえし」。
ぶちギレてる変な客に絡まれたら、「ウンコ漏れそうなんかな」。
帰宅後に‘‘あの仕事やり忘れたかも・・‘‘と不安になったら、「なかったことにする」。
自分にとって「不快」なものは、「頑張って」切り落とす。
世の中にはもっと悪いことをしている人がいる。
救いようのない人もいる。
大丈夫、私はぜんぜんふつうだ。不幸でもないし、自ら苦しみにいく必要もない。
私はふつうに生きていけばいい。
きっと、あなたも。
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