ふわふわとした思いをふわふわとさせないための作業=非言語から言語化するということ
初めての投稿です。
僕は、自分の思ってることを相手に伝わる言葉にするのがとても苦手です。
話す量はわりと多いし、誰かと自分の思ってることを話す機会も多いし、嫌いじゃない。
でも、とても苦手です。
理由は一つ。
『思っていることがフワフワしすぎている』
いや、もう一つありました。
『自分の頭の中を整理できていない』
これにつきる。
なので、話している時の自分のイメージと、話を聞いている人のイメージが合致しない。
単純に言葉のボキャブラリー難民ということでもある。
沸々と自分の中にある気持ちや思いを相手にわかるように話せない。
言語化できない。
だから伝わらない。
もやもやする。
ありがたいことに、僕の周りにはそのもやもやを汲み取ってくれて、理解してくれる人も幸いには多いのですが、そう甘えてばかりもいられないですよね。
最近は特に自分の中でそれを痛感していて、何とか自分の考えていること=ふわふわしたこと=「非言語的な思い」を、伝わる言葉にしていこう=「言語化」
と思ってのこのエントリーです。
そもそも「非言語」を「言語化」というワードも、ふわふわした気持ちをふわふわさせないために僕の残念なボキャブラリー辞典をフル動員した結果です(笑)
そしてその、「非言語を言語化する」ということですが、まず大事なのは「誰に」自分の思いを届けるのか。
今回このnoteで言えば、これを読んでくれた不特定多数の誰か。
友達と話す時はにはその友達に。
上司には上司に。
言葉を届ける相手を意識した言語化が大事なんじゃないでしょうか。
例えば、美味しい料理を食べたとき、自分一人で食べたときの感想は「なまらやばい」「味がいい」とか、乏しい感想になってしまいます。でも、一人だからいいんです。
それを相手に伝える時。
その時に、「なまらやばい!」では、1ミリも伝わらないですよね。
味にうるさそうな人には、「塩加減が〇〇で~」とか、
大食いの人には「茶碗〇杯分のボリュームで~」とか、
自分の中の「なまらやばい」という料理の漠然としたイメージ・感想を相手に伝えるためにはそのイメージを客観的に見直して、感想に変化を与えなければ相手へ料理のイメージは伝わりません。
そして、自分の中のイメージ(ふわふわとしたもの)を客観的に振り返って別な言葉に置き換えたとき、自分の中のイメージが少し、具体的になってきます。
その作業を繰り返すことで、段々とふわふわしたものが削ぎ落とされて、スマートに伝わる言語へと変わっていく。
ということで、
人に伝えたい、伝える思いがある場合はまず、自分の中の言葉を「整理」して、届ける相手は誰・どこなのか「イメージ」する。
相手が知りたい、相手に届けたいものは何なのか。
自分を理解して、相手を理解する。
というところを意識して、自分の少ないボキャブラリーの中の引き出しを総動員すれば、相手に伝わる「言語」となるなんじゃないかなと思っています。
というか、伝わってくれ。
書くことで少しでも、自分の言語を増やしていきたいなと思っています。
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