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山本文緒『プラナリア』から読む、無職の生活について

最近、山本文緒先生の『プラナリア』を読んだ。前に読んだ『自転しながら公転する』が凄まじかったので期待していた。そして、期待していたように面白く、精神を抉られたので書きたいと思う。

『プラナリア』は5篇の小説が収録されていている。

プラナリア


1つ目のプラナリアは、主人公が乳がんの手術で無職になったあとを描いている。この時点で、僕は面白いことを確信した。月並みな書き手は、大きな病気を同情的に書きたがるが、本作はそれが終わったあと、そして終わらせることを嫌がっている姿を描いた。

無職特有の時間感覚や、精神性をうまく話の中に落とし込みつつ、主人公が読者から嫌われないぎりぎりの精神性を作っている気がする。とにかく筆が巧みで引き込まれる小説だ。

この本全体に言えることだが、嫌な人間を書くのが非常にうまい。ただの悪人ではなく、一つの正義に基づいて行動した結果、無職の主人公に刺さってしまうという感じでだれも憎めない。しかし、主人公に感情移入して読むと、むかむかしてくるのが不思議になるほどだ。

無職になることの弊害は、人付き合いが苦手になることだと思う。
その背景には複数の要因がある。そもそも無職になる人は、性格的に社会的関係に苦手意識があったり、自身のキャリアが他人と比べて劣っていることに自尊心が傷つけれれ、無意識にも攻撃性が出てしまったり。あるいは、対人経験のなさによるものであったり。
今作の主人公たちは、ほとんどが何処かうまく人と関われないことを苦悩しているように見える。そして、それこそが普遍的な無職の悩みで、社会復帰を阻害する要因ではないかと考えるようになった。

どの短編も働かないことの屈折具合をうまく表現していて、人間の理不尽さや脆さがつたわってきてしまう。そういう意味で、現代の一つの生き方、に対する警鐘を鳴らす小説だと感じた。







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