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2021 夏

今年も夏が終わった。

いや、正確に言えばまだ夏ではあるけれど私の中のタイムリミットとしての夏のカウントが0になった。

私の中で8月31日という場所から先はどれだけ足掻こうが夏の香りを残した別の季節でしかない。それは夏のお祭りの次の日に跡地を訪れた時に香りと少しだけの遺失物を残しただけの日常の場所に戻ってしまった様なもので、また来年の夏が訪れるまではこれまでの夏の思い出を反芻し、来年こそは正しい夏を送ってやろうと意気込みながらそれを待ち続けるゾンビに戻る。

じゃあ今年の夏を振り返る。

今年は近場ではあるが色々な場所を歩いた。

自宅からの生活圏内の中で普段歩かない場所を開拓し、ロードマップを広げるように歩いた。路地に入ったり、初めて見かける廃屋を眺めてみたり、そういった何気ない瞬間に夏を想像し、存在しない自分の物語を脳内で作り上げていた。これは1年を通してあらゆる場所でやっている事ではあるのだが、私の中で夏は感傷に最も適した季節だからこの2ヶ月は特に能動的にこれを繰り返した。

見知らぬ場所を歩くのは楽しかった。その場所ひとつひとつに誰かの生活が息づいていて架空の自分をはめ込んでいった。

私がこんな事ばかり繰り返すのは過去に正しい夏を送った記憶がないからに他ならない。

確かに充実した夏を過ごしたことがある。でも夏という言葉を聞いて最初に思い出されるのは行ったことのない田舎のおばあちゃんの家の縁側で麦茶を飲んでいたり、白いワンピースの少女と日が暮れるまで遊んでいる記憶なのだ。私にはそんな経験はないのに、この思い出が刻まれている限り私は一生そんな夏を目指して歩き続けるだろう。

そしてそれはきっと誰の中にも正しい夏は存在していて、それを送ろうと必死になっているだろうが、誰もが送れないでいる。それに落ち込み独りよがりの悲しみの中に入りつつ秋を迎えるのが私は堪らなく苦しくて好きなのだ。要するに感傷マゾなのだ。

それと今年はサマポケをプレイしていた。夏に合わせたつもりはなかったけど外に出れない事もあり始めたタイミングとしてはベストだった。中でも紬√はこれまでのkey作品の中でもplanetarianやCLANNADの親父とのシーンに匹敵するくらい泣いた。あれは私が創作に求めていた理想的な夏のひとつを描ききっていた事もあってボロボロ泣きながら終盤をプレイしていた。私が夏に求めるタイムリミット感を上手く落とし込み、最後まで全力で夏を駆け抜けるストーリーは本当に素晴らしかった。サントラも買ってしまった。今後も隙あらば紬の話をする化け物が誕生した。紬√に心を奪われてしまった結果、他ルートで上手く感情を乗せてプレイ出来ない自体に陥ってしまったので、来年の夏にもう一度プレイし直したいと思っている。

あとは8月の後半に1人で線香花火をした。実を言うと去年もやっていた。深夜2時くらいに近くの高台にある公園に行き、昼間のうちにドンキで買っておいた安い線香花火を黙々とやり続けた。線香花火から香る夏の匂いが深夜の誰もいない公園を包み、私を空想の夏にトリップさせた。こういう時、私の頭の中では隣に架空の女の子が現れ、2人の会話や物語が物凄いスピードで展開されていく。この時の自分の思考速度は暗算世界大会レベルで早いと思っている。私は生まれてこの方打上花火を生で見たことがない。夜空に浮かぶ大きな花火はいつも家の中の四角い箱に映し出されたものでしか知らず、五感で楽しんだことがない。それは行く機会に恵まれなかったのもあるが、元より自分に与えられたものでは無いように感じてしまっていたから無意識的に敬遠していたのかもしれないなと近年、線香花火を1人でやっていて気付いた。だからなのかは分からないが、いつからか線香花火が好きになっていた。私は暗がりの中の小さな灯火が好きなんだ。自分は幸せになれないと思っているから、そんな中で手に入れた小さな灯火を後生大事にポケットに入れながら生きる事ならば許されたような気持ちに包まれる。

他には鎌倉文学館や真名瀬の海岸に足を運んだ。鎌倉文学館では、その景観の中で小一時間多くの写真を撮ったり、展示されている作品を読んだ。その中の一つに川端康成が若者が集う今で言うフェスに行った時の日記があった。内容としては年齢差から上手く馴染めそうにないと複雑な心情のままフェスに参加しつつも、最後には一緒になって楽しむことができた話が原稿用紙1枚に書かれており、時代は違いながらもこういう日陰者の心情は今と大差ないんだなとホッとした。

真名瀬にはバス停を観にいった。知っている人なら知っていると思うが真名瀬のバス停は創作の世界に出てくる様な夏の感傷的スポットのひとつだ。実は私も「かげきしょうじょ!」という作品が現在放送中で(つい先日漫画も全巻買ってしまいました)その中で舞台となっていたのを見て訪れてみたのだ。とても暑い日だったこともあり、バス停近辺を漫然と歩き始めてすぐに暑さにやられた。服は汗によって肌に張り付く程で、現実の夏と空想の夏のギャップに気持ちよくなっていたが、流石に倒れそうになった。30分ほど歩いたあとは日陰になっていた海岸の端に座りながらOrangestarの未完成エイトビーツやフジファブリックの若者のすべて、あと久石譲のSummerを流して浸っていた。そうしてぼーっとしてある程度体力も回復しバス停に戻っているとその途中で見知らぬお爺さんに近くのバス停を聞かれた。私もそこへ向かう途中だったので真名瀬のバス停まで一緒に歩いて案内をした。そうして2人で待合室の中に入り、バスが来るまでの数分間、会話をすることになった。お爺さんは昔よくここに車で来ていたらしいが、免許を返納した為バスで訪れるのは初めてだったから迷ったと言っていた。それを話している時の目が、私を見ているようでどこか遠い過去を見ているようだったのが真名瀬での1番の思い出となった。

これが私の2021夏の日記としての終わりとしたい。大したことはしてないが、それでも来年こそは片田舎の寂れた神社で顔も名前も知らない幼馴染を探そうと思う。







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