いつの間にか共に生死。

今日は結婚について書いていこうと思う。

今月末に入籍が決まっているが、入籍により、何か変わるかと言ったら配偶者ができたという事ぐらいだろう。
いや、他に色々あるだろう、紙面を介して法的に何かと変わる。
だからと言って、僕の心持ちや恋人への接し方が変わるわけではない。

僕の母親は4人姉妹でそのうち半分が離婚し、1人は事実婚状態であり入籍はしていない。

DNAからみると、おそらく結婚には向いていないだろう。
自分が結婚するとはイマイチ実感も湧いてこないが、それを逆手に取り”結婚”という2文字を意識するのを辞めたのである。

結婚せずとも、その人と生涯を共にしたいと言う気持ちは変わらないし結婚したからと言ってその気持ちが増すわけではない。

“結婚”というのはあくまで書面上の契約でしかない!
と言い切ってしまうと聞こえが悪いが、相手と共に生涯を共にしようと決意すればわざわざサインなどしなくとも自覚や責任感は湧いて来るものだと思うのだ。

遊びで付き合っていたなら別だが。

婚前の相手両親への挨拶等も大切な事では有るが、結婚する時に畏って行かずとも、好きなもの同士一緒にいるのだからお互いの両親にも会いたい、大切にしたいと考えるのは当然なのではないか?

あなた方の子供を奪ってしまうわけではない。
共に大切にしていきたいだけです。

寧ろ、結婚により苗字が変わってしまう事で盗られた感じてしまうのではないだろうか。

結婚に対してどこか、人身売買の様な雰囲気を一部感じてしまう。

結婚という契約の面で考えれば上記の様な意見がバンバン出てきてしまうが、僕が思う結婚とは自分たちのためというより、自分たちの家族のためにするものだと思っている。

今まで愛情を注いできた子供が、自分の家庭を持とうとしている。嬉しい気持ちと、寂しい気持ち、それから家庭を共にする相手に対して不安な気持ちもあるだろう。
当然だ。

そう言った気持ちを解消させたいと心から思うし、紙面での契約や表立った儀式を行う事で両親としても気持ちの整理がつくだろう。

誰の考えた制度だかは分からないが、そう言った面ではとてもありがたい。

今は、様々な家族あり方がありLGBTのカップルなども近年増えてきている。

どう言った形であれ、相手、そして相手の家族にまで敬意を払えるので有れば紙面上の結婚なと大した問題ではない。

書面に囚われない、

いつの間にか好きになって、いつの間にか一緒にいて、いつの間にか一緒に歳をとり、いつの間にか共に死んでいく。

そんな形もありなのではないか。

最後に、なんだかんだ言いつつも僕は今後の新婚生活への期待と幸福で胸がいっぱいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?