見出し画像

カラフルな人生

顔は変わる

FB等のおかげで、小学校時代の友達にも簡単につながれたり、個別のメッセージだってとても気軽にやり取りが出来ます。あの頃の「点」でしか知らないあの子が、その後(点と点が線になり面になって)、月日を重ねた【今】、まるであの子じゃないみたいだ、、と思うことは、ありますね。

10歳だった私と46歳の今の私は、何を偽るでもなく、点の連続でつながっているのだけど、いくら年齢を重ねたとはいえ、顔カタチや印象はまるで違うんじゃないかと、俯瞰するときがあります。じっさい、言われたこともあります。「なんか変わった?」と。体型は昔からヒョロッと背が高い方で、妊娠期を除いて体重の増減はなく、整形をしたとか、眉毛のカタチを変えている...とかもまったくなく、お化粧もあまりしません。髪型は10年近くボブ以下。

確かに、顔は変わってきた。エイジング以外の何かが。

プロフィール

本屋さんで書籍を見て回るのは何とも贅沢。何の本を買うと決めていない日に、書棚の間をうろうろするという時間の余裕があることの有り難さ。

手に取った本の著者の顔写真があれば、その最高の一枚を見ながら、この方は何をする方だろう、具体的な仕事は何かな、どんな関心があるのかな、と「プロフィール」をじっくり見ます。プロフィールには、良いこと、立派な業績が並ぶことが大半で、失敗談さえもサクセスストーリー仕立てだから、とにかく輝いています。恐れおののくほどの輝きがそこに。苦笑。

でも、もちろんというか絶対に、短いプロフィールの枠内には表せないところで、ご本人の相当な努力、苦労、失敗、悩みや葛藤があることも事実なのです。分かってます。

いろいろあります。

自分で意識して過ごしてきた時間以外にも、自然災害や事件や事故などの想定外のことも起こり得るし、分かりやすいプロフィールを見ているだけでは、人は人を真には理解できないかもしれません。

家族も変わる

私が今後、noteで(それ以外で)「家族」と書くとき、「法律婚をした男女の性のふたりと、その血縁の子から構成されるもの」を意味しません。

カタチが多様にカラフルに変わってきているなかで、ひとつの価値観を押しつける社会は何とちっちゃ。違うなら違う、理解出来ないなら私は出来ないと、ただそのことに気づけばいいだけのこと。

私ひとりのプロフィールでさえ、「あれこれ」カラフルなのだから、カラフル×カラフルは、相当カラフルです。家族のプロフィール(=ファミリーキャリア、家族の歴史)は未知数、無限大。

誰かにパターン化されるものではなく、自分でも決めつけ過ぎず、家族は共につくっていくものだなあ、と思っています。「友達は選べるけど家族は選べない!」と嘆き怒りに充ちた声は、かつての私の幼心の本音だったけれど、じゃあ、新しく育む家族は、積極的に自ら選び取り、パズルを組み合わせるように、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤すればいいじゃないかと。

舵を取る

乗っかった船(付き合っている、結婚した、家族が増えた...)に、ただ乗っているだけ、だなんて、危うすぎ!空(未来)を仰ぎ、天気(転機)を読み、方向を定めて、時には停泊しながらも、進む。

そして、なんと言っても、家族が昔と違うのは、女性(お母さん)の多くが働いているということ。共働きが主流です。ここにさらに育児が重なったら?子が、一人、また一人と増えたならば??ーー船が沈没しないように、皆で手を取り合って、協力しなくちゃーならぬ、です。

あなたの夫婦はどんな ”感じ” ですか。

どんな距離感であれ、絶大なる信頼関係に、あります、か。

夫婦は、お互いのプロフィール(人生)を彩り豊かにする伴走者。夫婦は似てくるとは科学的に根拠あるようで、ますますエイジングする私の顔も、家族と築いていくプロセス如何によって、七変化、、、です。爆。

例えば、どんな70歳(顔)になっていたいかナ???とリアルに想像(!)すると、こんな日々を過ごしていたい!と見えてきます。

しわくちゃ笑顔が一番です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?