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パリ、東京、行ったり来たり。(1)はじまり

フランス(主にパリ)と日本(主に東京)を行き来するようになって約20年。渡仏回数をパスポートの記録をたよりに数えてみたら45回になっていました。フランスと日本の違いを書いてみたらどうかと友人に言われたことをきっかけに、たしかにそういうのっておもしろそうと思いました。フランスといってもパリ、日本といっても東京という都会だけの話なのですが、人とのふれあいの中で感じたことを書いてみたいと思います。

初めてパリを知ったのは、4歳の時でした。4歳の誕生日かなんでもない日(私の親は誕生日やクリスマスなどのイベントに全く興味がなかったため)にもらった1冊の絵本「マドレーヌといぬ」でした。これは後に知ったのですが「元気なマドレーヌ」というシリーズの中の1冊で、マドレーヌちゃんという女の子がパリの寄宿学校で暮らしてるお話です。
この絵本で見たパリの風景が、子ども心に印象に残っていました。

次に、パリを意識するようになったのは、たぶん小学1年生の頃だったと思います。その頃大人気だった山口百恵さんが出ているドラマでした。百恵ちゃんが演じる主人公の大島幸子は実は大島家の養女で、本当のお母さんはパリに住んでいる理恵おば様(岸恵子さん)なのです!(役名はすっかり忘れてしまっていたので調べました)

子どもの頃はシンデレラや白雪姫のようなお話の影響もあり、母に怒られたりすると「私はお母さんの本当の娘ではなく、きっとどこかに優しい本当のお母さんがいるんだ」と空想の世界に入っていました。なので、実のお母さんがパリのおば様という設定は、どうしていいかわからないほどドキドキしました。

パリのおば様の登場する場面では、パリの風景と共に必ず「パリの空の下」の音楽が流れていました。その音楽はずっと頭の中に残りました。

そんなに夢中になっていたけれど、そのドラマが終わると次の百恵ちゃんのドラマに夢中になって、いつしかパリのことはすっかり忘れていましたが、それでも心の中で「私はいつか”パリのおば様”になる」と思っていました。将来なりたいものは”パリのおば様”になったのです。

時は過ぎて20代の頃。私は新卒で入った会社を4年で辞め、カフェでバイトをしていました。その時に、一緒に働いていた、私より少し若い子たちのなかには、フランス映画やフランス語にはまっている子が何人もいました。そのなかでは、フランスにあこがれるあまりに急に渡仏し、慣れない土地で言葉もままならないままベビーシッターをしていて、赤ちゃんの親との意思疎通もできず、ステイ先の家族ともうまくいかずに心が傷ついて戻ってきたという人がいました。すでに数年間の社会人生活で現実を見ていた私はその様子を冷めた目で見ていた気がします。今思えば、若さゆえの行動力だったのだろうな、とうらやましい気もします。私も若かったけれど、夢をみれないくらい疲れていたのかもしれません。そんな感じで、私の心はフランスから離れていました。

再び、私の中にフランスが戻ってきたのは、30代になってからでした。その頃、事務仕事の傍ら友人が経営するカフェのお手伝いにいっていました。友人はパリのカフェをイメージしてお店を作ったと言っていましたが、まだフランスに行ったことのない私は、写真を見ながら「そうなんだ~」と思ったくらいでした。高校の同級生で、ゲンズブールにあこがれパリに短期留学した男の子がいて、彼はそのカフェをとても気に入っていたのでなるほどと思いました。その友人とカフェ仕事の暇な時間にテレビフランス語講座の録画を見るようになりました。挨拶以外で一番最初に覚えた言葉は「私は子どもが3人います」でした。子どももいない私は、この言葉はいまだに使ったことがないし、今後も使うことはないですけど、とにかくこれがはじまりでした。

そんなある日、当時つきあっていた彼が研修かなにかで、ヨーロッパのいくつかの国に行くことになりました。そのなかのひとつにパリがあって、なんとなくそこに合わせていってみようと思いつきました。
これが私のはじめてのフランス旅行。2002年のことでした。(つづく)



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