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14.天照大神の誕生

「天照大神」は持統天皇をモデルに創作されたという説があり、私は基本的に賛成する立場です。徹底したフィールドワークに基づいて伊勢神宮や天照大神の誕生を説いた筑紫申真氏でさえ「持統女帝がモデルにされている部分はたしかにある」と指摘します。氏は著書の中で、太陽そのもの→太陽神を祀る女→天皇家の祖先神、と神格が変化してアマテラスが誕生したという論との整合を試みますが、どう考えても無理があり、持統女帝をモデルにしたとする著書の最終章は明らかに蛇足でした。
 
考え方を逆にしてはどうでしょうか。筑紫氏は天照大神が誕生した後に持統女帝を重ね合わせようとしたところに無理が生じたのであって、逆に持統女帝をモデルにして日神を創作し、さらにその日神を天照大神に変化させたと考えればいいのです。神代巻において日神と天照大神が混在することに対して多くの専門家は、日神から天照大神に転換する途中経過における伝承の混乱としますが、これは少し無理がある解釈と言わざるを得ません。
 
自然神としての日神が人格神である天照大神に変化した、あるいは、祀られる太陽神とその巫女が一体化したという話は、天皇家や日祀部など祭祀を司る側にいる人々の意識の中で何十年もかけて徐々に変化していったということであり、その意識の変化に伴って祭祀のあり方や神そのものに対する認識が変化したということだと思います。そしてその変化の過程(変化前、変化途中、変化後)を反映した少しづつ違う伝承が残されて『日本書紀』に一書として採録されたということになります。それが日神、大日孁貴、天照大神という名前の変化にも表れているということでしょう。

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