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6.度会氏の太陽信仰

度会氏は現在の内宮の荒祭宮の地に天日別命を祀る祭場を定めました。この場所は志摩半島の山間部を北に向かって流れる五十鈴川が伊勢平野に流れ出す扇状地の扇頂部分にあたり、支流の島路川が合流する地点になります。車で内宮へ行ったことがある人はよくわかると思うのですが、内宮に向かう国道23号線の終点、どん詰まりが内宮の駐車場になっています。正確にはその先も五十鈴川に沿って志摩半島を縦断する細い県道が延びているのですが、平野部を快適に走ってきて目の前に山が迫ってきたところで伊勢神宮に到着という感覚です。そして駐車場に車を停めて宇治橋を渡って参拝となります。度会氏は太陽神を祀る場所としてなぜこの場所を選んだのでしょうか。
 
皇祖神たる天照大神がなぜ伊勢の地に祀られることになったのかについては、これまでに見てきた伊勢神宮成立に関する諸氏の論で、東国経略の拠点として伊勢の地を選んだ、東に海をひかえる伊勢は太陽信仰の聖地であるから、天皇家と同じ太陽神を祀る伊勢の土豪との関係が深くなったから、壬申の乱で大海人皇子が伊勢を遥拝して勝利したから、などなど、いろいろな考えがあることがわかりました。どれもあるような気がするのですが、それは別稿で考えるとして、ここではひとまず、度会氏がなぜこの荒祭宮の地を太陽神の祭祀場として選択したかを考えてみます。

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