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10.神郡の設置

ヤマト王権は7世紀前半に皇祖神高皇産霊尊を祀る祭祀場を現在の内宮付近に設けました。そして、その後すぐに起こった乙巳の変を経て、王権の実権は蘇我氏から中大兄皇子と藤原鎌足に移ることになりました。彼らは蘇我氏の政策を受け継ぐ形で伊勢における皇祖神祭祀を続けることにしたようです。少なくとも皇祖神の祭祀場を伊勢から動かすことはしませんでした。その伊勢の内宮で祀られていた皇祖神が当初は高皇産霊尊であったことは溝口睦子氏や岡田精司氏など多くの専門家が説いているところです。
 
さて、『日本書紀』には持統天皇6年(692年)3月に伊勢行幸が行われたときの記事に「賜所過神郡及伊賀・伊勢・志摩国造等冠位」と記され、さらに同年閏5月に「免伊勢国今年調役。然応輸其二神郡、赤引絲參拾伍斤、於來年、當折其代」と伊勢大神が調役免除を願い出たことが記されます。いずれにも「神郡」の文字が見え、持統天皇の頃に伊勢に神郡が置かれていたことがわかります。律令制下でひとつの郡全体を特定の神社の所領、神域として定め、その神社の経済的基盤を支えるために設けられたのが神郡です。文献からは次のとおり、孝徳天皇のときに伊勢や下総に神郡が設けられたことがわかっています。

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