見出し画像

4.斎王と伊勢大神

前稿では伊勢大神を考えましたが、今回は斎王派遣記事から伊勢神宮を考えてみます。あらためて『日本書紀』における天武朝までの斎王派遣記事を以下に列挙します。(崇神朝の豊鍬入姫命、垂仁朝の倭姫命は除きます。)
 
①景行紀 「遣五百野皇女、令祭天照大神」
②雄略紀 「稚足姫皇女、更名𣑥幡娘姫皇女、是皇女侍伊勢大神祠」
③継体紀 「荳角皇女、荳角此云娑佐礙、是侍伊勢大神祠」
④欽明紀 「磐隈皇女更名夢皇女、初侍祀於伊勢大神」
⑤敏達紀 「以菟道皇女侍伊勢祠」
⑥用明紀 「以酢香手姫皇女、拜伊勢神宮奉日神祀」
⑦天武紀 「欲遣侍大來皇女于天照太神宮・自泊瀬齋宮向伊勢神宮」
 
また、これらの斎王派遣に先立つ記事として、天照大神の伊勢鎮座に関する記事が以下の内容で垂仁紀(垂仁25年の条)に記されます。
 
三月丁亥朔丙申、離天照大神於豊耜入姫命、託于倭姫命。爰倭姫命、求鎮坐大神之處而詣菟田筱幡 筱、此云佐佐、更還之入近江国、東廻美濃、到伊勢国。時、天照大神誨倭姫命曰「是神風伊勢国、則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也。欲居是国。」故、隨大神教、其祠立於伊勢国。因興齋宮于五十鈴川上、是謂磯宮、則天照大神始自天降之處也。
 
(即位25年3月10日。天照大神を豊耜入姫命から離して倭姫命に託しました。倭姫命は大神の鎮座する場所を求めて菟田の筱幡に至りました。筱は佐佐と読みます。さらに引き返して近江国へ入り、東の美濃を巡って伊勢国に至りました。そのとき天照大神は倭姫命に教えて言いました。「この神風の吹く伊勢国は、常世の国からの浪が繰り返し打ち寄せる傍国の美しい国です。この国にいたいと思う」と。そこで大神の教えに従って伊勢国にお祠を立てました。そして斎宮を五十鈴川の川上に立てました。これを磯宮といいます。天照大神が初めて天より降りた場所です。)

ここから先は

2,294字 / 1画像

天照大神はいつ頃、どのように誕生したのか。その天照大神が祀られる伊勢神宮(皇大神宮)の成立はいつ頃なのか。「古代史構想学(実践編6)」で整…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?