姫園淀仁

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平成X年競馬 平成7年AJCC

 轟音で飛び起きた。  第一感は爆弾が落ちたと思った。が、当時の日本が攻められるわけがないと瞬時に打ち消す。じゃあ飛行機の墜落? いや、まだ家が激しく揺れてる。地震だ。  平成7年1月17日5時46分。  心の底から「死んだ」と思った瞬間が人生で二度だけある。そのうちの一度がこの地震だ。  ウチの実家は、伊丹空港の空襲のもらい火で焼けた後、無理やりに建てた築50年の木造住宅。しかも戦時中に突貫工事で造ったから基礎がない(石の上に柱を乗せているだけらしい)。なのに無理やり二

    • 平成X年競馬――平成7年シンザン記念

      “あたりまえ”なんて存在しない。そんな“あたりまえ”の事実に気づいたのは平成7年。私は、世間的な“あたりまえ”からかけ離れた受験生だった。  というのも、高校の3年間、大げさではなく、1秒たりとも勉強をしていないのだ。学力は中学レベルで完全に止まっている。担任からは「もったいないから受験料をオレにくれ!」と怒鳴られるレベル。自分でも合格するわけがないと確信していた。なぜ受験をするかというと、フリーターになるための親への形づくりである。  勉強もせずに何をしていたかというと

      • 平成X年競馬――平成3年有馬記念②

        (前編) ・・・同級生から頼まれた馬券を呑んだ結果、大穴ダイユウサクが激走。自腹を切って13万円を払う必要が生じたのだが、中学生の私とヤンはそんな大金を持っていない。平成3年有馬記念がゴールした後の話。 「13万円なんてない……。いま2300円しかない……」  私の“金持ってるか?”という質問に、ヤンが心細そうに答えた。 「心配すんな! オレは700円しか持ってない!」  私は植木等の “だまって俺について来い” ばりに返す。 「説明は後や。あと10分ちょっとしかないからウ

        • 平成X年競馬――平成3年有馬記念①

           ヤンが死んだと風の噂に聞いた。コーヘイもこの世を去った。タケシは重度のALSで意思疎通ができなくなった。ヒコちゃんやマチケンはとっくの昔に引退した。  平成一桁年代に競馬場で一緒に過ごした友達たちは、令和の競馬場からみな姿を消してしまった。でも、今でもふとした瞬間に思い出すのだ。彼らと過ごした平成X年の競馬を。  全身から血の気が引く音を聴いたことがあるだろうか。私は一度だけある。平成3年。中学生だった。 「全部で12人。2万円買いが入ってる」  大阪梅田・DDハウスの

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