平成Ｘ年競馬――平成3年有馬記念①
ヤンが死んだと風の噂に聞いた。コーヘイもこの世を去った。タケシは重度のＡＬＳで意思疎通ができなくなった。ヒコちゃんやマチケンはとっくの昔に引退した。
平成一桁年代に競馬場で一緒に過ごした友達たちは、令和の競馬場からみな姿を消してしまった。でも、今でもふとした瞬間に思い出すのだ。彼らと過ごした平成Ｘ年の競馬を。
全身から血の気が引く音を聴いたことがあるだろうか。私は一度だけある。平成3年。中学生だった。
「全部で12人。2万円買いが入ってる」
大阪梅田・ＤＤハウスの地下、パチンコ銀座の横にあるゲームセンターで、ヤンが私にメモを見せてきた。
「12人も!? さすが有馬記念やなぁ。やっぱ、マックイーンばっかりか」
メモには同級生の名前と買い目と金額が書いてある。当時は競馬ブームの真っ只中。中学生の馬券買いは珍しくなかった。しかし各々が競馬場やウインズへ行くと補導のリスクが高くなる。Ｋ中学校では、ヤンが土曜日に同級生の買い目をまとめて、私と二人で馬券を購入するシステムができていた。
買い目をまとめ出すと、バカな中学生でも気づくようになる。
（これ呑んだほうがええんちゃう？）
ヤンと私は「絶対に来ない」と確信できる目を呑んで、それを梅田での遊び代に充てるようになった。
平成3年の有馬記念はメジロマックイーンの一強。天皇賞は降着に泣き、ジャパンＣは外国馬に屈したが、メンバーが手薄になった有馬で負けるとは考えられない。
しかし12人の同級生の買い目は、すべてメジロマックイーンが軸だ。こうなると「絶対に来ない」ヒモを探して呑むしかないが、相手は混戦模様で選び出すのが難しい。
二人で顔を寄せ合って、一冊の競馬ブックを凝視する。
「コレはいらんやろ」
ヤンが競馬ブックの5枠の馬を指した。
「7歳？ こんな馬出てた？ 同じ枠のオースミシャダイもいらんな」
メモに目を落とすと、今日はじめて馬券を頼んだトツちゃんが、馬連①－⑧を1000円、枠連①－⑤を2000円頼んでいる。
「やっぱ素人やな。なんでこんな年寄り馬買うねん。この目だけ呑んでＡＢＣ行こうや」
阪急東通り商店街にあるゲームセンターＡＢＣは、地下1階・地上3階の大規模店で、メダルゲームが充実していた。2階にはテレビモニターが9台もあり、土日はかならず競馬中継を全画面で流していた。おのずとウインズ梅田で馬券を買った中高生のたまり場になる。この日も50人くらいがモニター前に集まって有馬記念のスタートを待っていた。
ファンファーレが鳴る。鼓動が高まる。私は馬券の軸にしたメジロマックイーンだけを見ていた。馬券を呑んだことなど、すっかり忘れていた。
4コーナーを回ってマックイーンは5番手。十分に差し切れる位置だ。前にいるプレクラスニーとダイタクヘリオスは相手に買っている。このまま差し切ってくれれば当たりだ。
「マックイーン！」
私の叫び声に応えるようにマックーンが力強く伸びる。しかしその内から黒い影がスルリと抜け出すのが目に入ってしまった。あれ、黄色い帽子？
内からダイユウサクが伸びて来た！
（え!? え!? ええぇぇ～～‼ ダイユウサクって、オレたちが呑んだ馬じゃなかったっけ？ やめろ！ やめろ！ やめてくれ！ いや、もう、むしろマックイーン、タレろ！）
ダイユウサクだ！ ダイユウサクだ！ メジロマックイーンは二番手！ ダイユウサクだ！ ダイユウサクだ！
ゴール前で熊沢騎手が全身を使ったド派手なガッツポーズ。
その瞬間、本当に、全身から“ザザザザーーッ”と血の気が引いていく音を聞いた。何が起こったのか。まったく思考がまとまらない。ヤンに目をやると口から泡を吹いて立ち尽くしている。
よりにもよって、一点だけ呑んだ大穴で、有馬記念が決まってしまった。しかも平成が終わった今でも、歴史に残る大波乱として語り継がれる伝説の有馬記念である。
夢であることを祈ったが現実だ。血のまわっていない脳を、無理やりフル回転させて、今後の対応策を考える。
（たしか馬連70倍、枠連が30倍くらいだったから……）
（13万円！！）
（コレ、どうやって払うねん）
（月の小遣いが3000円やから。分割で、え～っと、43回払い!?）
（オレ、高校卒業してるやん！）
（いや、ヤンにも支払い義務があるよな。高2くらいか？）
（親に相談？）
（アカン、競馬やってるのがバレる）
（バックれる？）
（馬券呑みました。13万円払えません。テヘペロ）
（これはさすがに許してくれへんか……）
1分後、口に泡のつけたヤンが、口を開いた。
「……。おい、ダイユウサク、来たぞ。どうすんねん！」
「どうすんねんって、どうにかするしかないやろ！ ヤン、いま金いくら持ってる？」
（つづく）