平成X年競馬――平成3年有馬記念②

(前編) ・・・同級生から頼まれた馬券を呑んだ結果、大穴ダイユウサクが激走。自腹を切って13万円を払う必要が生じたのだが、中学生の私とヤンはそんな大金を持っていない。平成3年有馬記念がゴールした後の話。

「13万円なんてない……。いま2300円しかない……」
 私の“金持ってるか?”という質問に、ヤンが心細そうに答えた。
「心配すんな! オレは700円しか持ってない!」
 私は植木等の “だまって俺について来い” ばりに返す。
「説明は後や。あと10分ちょっとしかないからウインズへ走るぞ!」
 ABCの階段を一気に駆け下りると、ヤンもドタドタとついてきた。

 クリスマス前の日曜日。人でごったがえす阪急東通商店街を、二人の中学生が全力で走る。ナビオ前で信号につかまったので、右折して茶屋町方面へ。幸運にも百又ビル前の信号も青。ウインズ前のスクランブル交差点に引っかかったが、これなら何とかギリギリ時間に間に合いそうだ。

 交差点の信号待ちの間に、ヤンに何をするか説明する。
「ハァハァ……。今から二人合わせた3000円で六甲Sの10番を買う」
「ハァハァ……。当たったら13万円になんのか? っていうか当たんのか?」
「13万円にはならへん」
「じゃあアカンやん」
「これで何とかするんや」
 ここまで告げると、信号が青になった。
 駅へ向かうオケラの大群を縫うよう交わし、ウインズへ滑り込んだ。窓口にマークカードと3000円を突っ込み、馬券が手渡された瞬間、発売締め切りのベルがなった。

 少し息を整えた後、ヤンにこれからの作戦を教えていく。
「六甲Sの10番はシンホリスキーや。クラシックでは足らんかったけど、OP特別なら格上や。単勝7倍くらいあるけど、たぶん勝つ」
「負けたらどうすんねん?」
「まあ聞けや。勝ったら3000円買ってるから2万円になる」
「だから13万円には全然足らんやん」
「でもこの2万円が生きてくるんや。あ、レース始まるぞ」

 これまでも馬券を買うと声を出して叫んでいたが、このときほど全身全霊を込めて1頭の馬を応援したことはない気がする。シンホリスキーは道中すんなり2番手を追走し、3コーナーを回って先頭に立つ。
「そのままぁ!」
「そのままぁ!」
 二人の声はハイテンションでシンクロ。ただ当時のウインズの熱気は今の比ではない。他の客も思い思いに叫んでいるので、中学生がキーキー叫んでいても、たいして目立ちはしなかった。
 我々の願いが通じたのか、シンホリスキーは後続に差をつけて余裕でゴールイン。単勝払戻金は740円。

「ホンマに来たなぁ!」
 ヤンは満面の笑み。
「な、言うたとおりやろ!」
 私はドヤ顔。まだ約11万円の負債があるのだから、間抜けな笑顔やドヤ顔をさらしている場合ではないのだが、馬券が当たるとやはりうれしい。
「で、この22000円を最終レースに突っ込んで13万円にするんやな!」
「いや。ここで打ち止めや」
「じゃあ13万円になれへんやん」
「有り金勝負で2連勝できるくらいツイてるなら、そもそもダイユウサクの馬券なんて呑んでへんで」

 ウインズを出て、この後の流れをヤンに丁寧に説明する。
「馬券を頼んでたのって全部で12人やったな」
「うん」
「今から家帰って、12人全員に電話入れるんや」
「なんて電話するん?」
「ウインズで補導されて有馬の馬券買えなかったって」
「え~! ひどっ!」
 我ながら酷い。でも背に腹は変えられない。そもそも腹がない。
「で、ちょうど馬券の買いが2万円やったやろ。明日学校に行って六甲Sで当てた22000円で12人に馬券代を返す」
「それ、みんな怒れへん?」
「トツちゃん以外の11人は馬券をハズしてるんやで。無くなった金が返ってくるんやから『災難やったな。言わなくてもバレへんのに、おまえら正直者やな』と、むしろ感心してくれるやろ」
「トツちゃんはどうすんの?」
「そりゃ怒るやろ。でもクラスの風向きは俺らは悪くないというふうになるんやから、諦めてくれるような気がする」
「気がするって……」
「だから、トツちゃんには平謝りや。どうやっても13万円なんて払えないんやから。でも補導されたって謝る友達に『死んでも払え!』って言うタイプではないやろ。もしも揉めたら、そのときはそのときや」

 JR大阪駅から電車に乗り込む。窓の外は暗い。座席に並んで座るが、今日のドタバタと今後がうまくいくかわからないので、二人とも無言だ。
 地元の駅が近づいたとき、ヤンがようやく口を開いた。
「なぁ、○○(私の本名)」
「なんや?」
「もし六甲Sがハズレてたらどうしてたん?」
「まずは梅田から歩きで帰りやな」
「あ、そういや電車代残さずに有り金渡してたわ」
 ヤンが苦笑する。やっぱりコイツはいいヤツだなと思った。
「あとは終業式が近いから、正月まで逃げ切って、お年玉で返済かな」
「おまえ、有馬が終わった後、すぐにそれ思いついたん!?」
 私はうなずいた。

 電車が地元の駅に着く。改札を出た別れ際、ヤンがまた話しかけてきた。
「なぁ」
「なんや?」
「今日でオマエの本性がホンマによくわかった。これからはオマエが言うこと、全部ウソやと思うわ」
 半笑いでそう告げるヤンを見ていると、たとえウソだとわかっていても、私に付き合ってくれることがよく伝わってきた。

 

(夜)
 おそるおそるトツちゃんに電話を入れる。
「ごめん。有馬記念、補導されて買えんかった……。せっかく当たってたのに……。ホント、ごめん」
「そうか。大変やったな。別に気にせんでええよ」
 愚痴ひとつこぼさず13万円をすっぱり諦めるトツちゃん。あまりの素直さ、あまりの大物ぶりに驚いてしまった。怒るこることなく私を気づかってくれたので、申し訳ない気持ちがふつふつと湧いてくる。でも自分可愛さ、意地汚さから、真実を告げて謝るのは、これから数年後になってしまうのだが……。
 最後に。このとき決意して、今でも守っていることがある。

 もう金輪際、馬券は絶対に呑まない!

 力んで言うほどのことではないか。そもそも法律違反だし。みなさん、馬券を呑むと大変な目に遭うよ。

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