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1/4 朝日新聞、天声人語

俳句を詠む人工知能「AI一茶くん」ここ最近、彼が作る俳句が話題となっている。江戸時代から現代までの名句や、季語にちなんだ写真を彼に覚えこませ、句題や写真を示すと、それに即した俳句を詠むことができるらしい。

実際に俳句を作る様子を見たことはないのだが、俳句を嗜むものとしては、否定的な見解になってしまう。というのも、まるでスロットのようにボタンを押せば、上五、中七、下五それぞれ言葉がでてきて、たまたまいい組み合わせができただけのことではないのだろうか。

そこで思ったのが、自身が俳句を作るときの脳の動きはどうなっているのだろうかということ。

作句方法は、基本的に2パターンあり、季語優先か、季語以外の措辞(12音)優先かに分かれる。季語優先で考えるのなら、季語の本意やイメージを想像し、それに見合った12音を考える。12音を優先するなら、12音のイメージに合った季語を選択する。

ちなみに、季語優先で考えることは基本的にしない。というのも、季語ありきだと季語にイメージが引っ張られて、季語の説明をしているだけの句になることがある。だからもしも季語ありきで作句することになったら、連想ゲームを始める。

ではなぜ12音を優先した方がいいのだろうか。

それは、俳句は基本的に六感を元に作るからである。

例えるなら雲の表現方法。通常なら「白い」「ふわふわしている」などとなるのだろうが、六感で雲を見ると、「丸い雲」「チリチリと音のする雲」「雲は故郷の匂い」「甘い雲」「雲の芯は固い」と、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と連想力を駆使することになる。

俳句とは、心を動かされた何かを言葉にする作業なのである。だから、私のようなアナログ人間にとっては、「一茶くん、そこに心はあるのか!」と言いたくなってしまうのだ。

そもそも一茶くんは、人工知能が苦手とする感性や独創性が必要な俳句づくりに挑戦することで、今後の技術開発に役立てるのが目的で開発された。

そう、その感性や独創性が、俳句には必要なのである。

コラムには、AIとは将来において決して人間の職を奪うものではなく、共存し助け合える存在だとある。確かにAI一茶くんは、1時間に14万もの句を作ることができるが、玉石混交のようで、人が選択してあげないといけない。

空青く子供育てし注連飾り AI一茶

確かにいい句だと思う。だが、やはりそれぞれの言葉の塊にしか見えないのだが、これが通常の句会で人が作ったものの中に紛れていたら分からないだろうとも思う。

ここまで否定的なことを書いてきたが、吟行での作句と、AI一茶くんの作句が似ているのではないかと思った。ちなみに吟行とは、俳句の題材を求めてどこかに出かけることなのだが、その場で感じたこと、思い浮かんだ言葉、発見したものなどをメモしておき、あとでその言葉をつなぎ合わせたりすることもある。

先にも書いたようにAI一茶くんは、1時間に14万句作る。これは所謂「多作多捨」というもので、俳句上達のためには多く作って、捨てよということ。

実際AI一茶くんは上達しているようだ。当初「かおじまいつきとにげるねばなななな」といったような句をつくっていたようなので、多作多捨が上達することの立証にもなっているかもしれない。

あとは自選。多作した作品の中からよい作品を、自分で選ぶことができるようになれば、AI一茶くんは今後、侮れない存在になるのかもしれない。

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