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新年だからって何かが変わるわけじゃない

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

2020年の大晦日は、嵐さんのラストライブを観ました。我が家は毎年紅白を観ているのですが、今年は嵐さんライブ。他のことでバタバタだったのもあり、「最後のライブが終わった」以外の感想が新年にありませんでした

年が明けてもう9日になりますが、やっぱりまだ年明けという感じはしません。それは今年が特殊だという要因はありそうですが、いつ何時だって「年が明けたから何かが変わるわけじゃない」って思ってしまいました。

「明日はきっといい日になる」が信じられない

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私は割とポジティブ思考の人間なので「今日ダメダメだったけど寝て起きればなんとかなるわ!」というマインドの持ち主です。
「明日が今日以上に最悪の日になる」という想像はしたことがありませんでした。(もちろん悩むことはあったけど)

けれど、昨今の感染症の状況から「明日の方が今日より悲しむ人が多くなるんだろうな」というのが容易に想像できます。
街にはちょっとだけピリピリした空気、Twitterを見れば論争、医療職の友達の嘆き、演劇界の自粛ムード。

いつまで続くのかわからない状況の中で、明日や未来を信じる力は湧きにくくなっているな、と感じます。

多くの人は、先が見通せないことに不安を感じます。私もそうです。
(こんな時期に起業してなんとか回ってるからいいものの先は全く見えない不安がYABAI

新年とか誕生日とかの節目って、現状を自分でリセットできるから気持ち的に有用なんだと思うんです。「今年はこれを頑張ろう」「あれが出来るようになろう」みたいな、そんな先を見通す目標が大切なんだなって。
見通す先にある未来への道筋が立てやすくて、選択肢が広かった気がします。

自分の心の世界を守って生きたい

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去年までの自分を振り返って、「世界は広かったな」って思うんです。
自由に出歩いて、友達と遊んで、ふらっと電車に乗ってみたり、話題のお店に行ってみたり。「私が存在出来る世界」が広かった

私は演劇に携わる人間だから、当然お芝居の世界もありました。自分で作るのもそうだし、誰かの作品を観ることも世界を広げる感覚。

けれど、感染症が広がるに連れて「私が存在出来る世界」ってどこにあるんだろう、と思う機会が増えました。
お気に入りのカフェにも、友達と会うことも、電車に乗ることも、混んでいるお店に入ることもなんとなく憚られてしまう。

「私、どこにいたらいいんだ」

2020年は節目の感覚が薄くなり、気がつけば終わっていました。そりゃそうだ。行事という行事がなくなったんだもの。
「現状をリセットしたい」という感覚もなくなって、日々を過ごすのに精一杯。「明日はなんとかなるさー!」という楽観視もしにくかった。

節目は自分の世界をリセットして新たな目標への道筋を立てるのに有用だと思うんです。
けれど、「私が存在出来る世界」に世界規模のバグが起きてみるみるうちに小さくなって未来なんて自分の力じゃどうしようもなくなった今は、新年という大きな節目も私には役に立ちませんでした。

かと言って「不安だ不安だ」と言って過ごすのも性に合いませんし、何か決めようと思った時に
「自分の心の世界を守る」という言葉が浮かびました。

コロナ禍で起業して、なんかちょっといい感じだけどやっぱり大変で。
私は演劇が持っている、他人を理解する力や現状を俯瞰する力を知っているから、今が苦しい人に向けて演劇の要素が役に立ったりしないかな、とも思ってるんだけど。

会社としては、舞台裏なんていう名前だから舞台の裏側で演劇関係の人や演劇に関わりたい人、演劇の力があることで未来が見通しやすくなる人に出来ることをしたいと思っています。

私個人としては、歩み寄れない他人や、自分が抱えきれない誰かの悲しみ、どうにもできない現実からはちょっとだけ離れて
私が好きなもの、好きな人、手を伸ばせば届く範囲にいる助け合える何かと一緒にいたいなと思います。

生きていれば、なんとかなる。
体だけじゃなくて、心も元気に生きようね。

本年も香西姫乃をどうぞよろしくお願い致します。



いただいたお金は!!!全て舞台裏のためのお金にします!!!!殺人鬼もびっくり☆真っ赤っかな帳簿からの脱却を目指して……!!!